日本鋳造(株)『日本鋳造50年史』(1970.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
- (この年)国内鉱石生産高300万トンを突破 鉄鋼業界の動き
- (この年)国内屑非常回収・戦災屑発生により屑鉄消費増加 鉄鋼業界の動き
- (この年)輸入鉱石・原料炭、船舶の喪失のために激減 鉄鋼業界の動き
- (この年)銑鉄生産高315.7万トン、粗鋼672.9万トン、鋼材414.8万トン、鉄鋼生産指数36.9(昭和35年=100) 鉄鋼業界の動き
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
3月10日 東京大空襲のため鉄鋼配給中絶する 鉄鋼業界の動き
3月 本格的な米軍の本土空襲はじまる(夜間焼夷弾攻撃で東京・大阪など大都市壊滅。6月以降は中小都市も攻撃をうける) 主なる社会の動向
4月1日 軍需工廠官制公布される 鉄鋼業界の動き
4月 岩手県一ノ関に土地購入が行なわれ、自給自足の体制を確立するため、山林地35町歩内に耕作、炭焼き等も始められる(一ノ関工場は完成の中途、機械搬入寸前に終戦となり処分される) 日本鋳造のあゆみ
4月 米軍の焼夷弾攻撃により、大森第一・第二工場および蒲田工場が完全に焼失する 日本鋳造のあゆみ
6月11日 臨時総会開かれる。取締役 岡崎貞一郎辞任する。代表取締役副社長に多田久三郎就任する 日本鋳造のあゆみ
7月 米軍の爆撃により、川崎工場は68発、鶴見工場は16発の爆弾を受け、川崎の本事務所も破壊される。白石工場には、米軍の爆撃機B29が高射砲のため火だるまとなって墜落、本工場を大破すると同時に付属の木造機械工場1棟約400坪を焼失する(7.29) 日本鋳造のあゆみ
8月6日 広島に原子爆弾投下される(つづいて長崎にも原子爆弾投下される) 主なる社会の動向
8月14日 ポツダム宣言受諾。日本全面降伏、太平洋戦争の終結 主なる社会の動向
8月15日 終戦の詔書放送される 主なる社会の動向
8月25日 鉄製品製造制限規則廃止される 鉄鋼業界の動き
8月25日 主要鉄鋼会社工場事業場管理令および軍需充足令廃止 鉄鋼業界の動き
8月31日 鉄鋼統制会、鉄鋼業従業員解雇者約59,400人(33%)、特殊鋼関係解雇者67%と発表する 鉄鋼業界の動き
8月 太平洋戦争における被害国富約469億7,361万円(昭和20年8月末価格) 鉄鋼業界の動き
8月 鉄鋼諸工場の作業休止、閉鎖はじまる 鉄鋼業界の動き
8月 屑鉄配給統制廃止 鉄鋼業界の動き
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