日本鋳造(株)『日本鋳造50年史』(1970.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
3月 鉄鋼特別価格報奨制度実施要領発表される 鉄鋼業界の動き
4月25日 軍需会社の指定を受ける 日本鋳造のあゆみ
4月27日 軍需・陸軍・海軍・運輸通信省、軍需会社法により、愛知化学工業など422社を軍需会社に指定(第2次) 鉄鋼業界の動き
4月28日 第48回定時総会において、代表取締役社長堤芳雄を生産責任者に選任する 日本鋳造のあゆみ
4月 東洋特殊製鋼設立される 鉄鋼業界の動き
4月 昭和製鋼所、本渓湖煤鉄公司、東辺道開発、合体して満州製鉄を設立なる 鉄鋼業界の動き
4月 軍需省、臨時鉄鋼協議会を設置 鉄鋼業界の動き
5月3日 増資にともなう第1回株式払込完了する。これにより資本金は1,200万円となる。この資金は鋳鋼工場の拡張工事の費用に充当する 日本鋳造のあゆみ
5月5日 臨時総会開かれ、中央冷凍工業との合併の件を決議する。取締役中野昌夫・萱島英男辞任し、小暮貞助・都築伊七を選任する。監査役中村三男吉辞任し、萱島英男を選任する 日本鋳造のあゆみ
5月25日 100万円の増資を行ない、資本金を1,300万円とする 日本鋳造のあゆみ
5月25日 中央冷凍工業との合併契約を締結し、その工場は蒲田工場と命名。(軍の要請によって、高空を飛行する搭乗員用の液体酸素を造るため、液体酸素発生装置を本格的に生産することになり、化工機械部を新設するとともに、その方面にすでに優秀な実績を持っていた同社の技術と設備とを吸収する) 日本鋳造のあゆみ
5月30日 取締役会において、次の通り生産担当者を選任する。川崎工場鋳造工場 城戸五郎、川崎工場工作機械工場 岡崎貞一郎、鶴見工場 井上利宗、大森第1工場および第2工場 岡崎貞一郎、蒲田工場 滝口泰(昭和19年12月25日付) 日本鋳造のあゆみ
6月10日 軍需省鉄鋼局製鉄課、含砒鉄鉱石の脱砒法研究を日鉄社長室研究部に委託 鉄鋼業界の動き
6月 関西製鋼設立される 鉄鋼業界の動き
9月4日 政府、臨時軽金属増産対策本部設置を決定 鉄鋼業界の動き
10月31日 第49回定時株主総会において、取締役、監査役任期満了につき改選が行なわれ、代表取締役社長に堤芳雄(再)、常務取締役に山上秀雄(再)、取締役に岡崎貞一郎(再)・井上利宗(再)・城戸五郎(両)・岸田栄(再)・高松誠(再)、都築伊七(再)・小暮貞助(再)、監査役に浅野八郎(再)・白石琢二(再)・萱島英男(再)、を選任する 日本鋳造のあゆみ
11月30日 日本製鉄、日鉄炉材製造を併合する 鉄鋼業界の動き
12月1日 健康保険組合を設立する 日本鋳造のあゆみ
12月 蒲田工場、軍需工場に追加指定される 日本鋳造のあゆみ
- (この年)女子挺身隊、茨城県から41名、福島県から18名、計59名入所する。学徒動員により、盛岡中学の90名も加わる。陸軍から軍需品の引取りに約30名が作業に従事(一般の職員および作業員の就業時間は、午前7時から午後5時までで、残業は制限なしである。始業の予鈴がなると各現場に集合、朝礼を行ない、人員点呼(総員何名、欠勤何名、現在員何名報告)皇居遙拝出征兵士の武運長久祈願の後、作業にかかる定めである。すべて軍隊式。徴用工は、静岡・神奈川・東京・東北および朝鮮から入所し、紫雲寮・敬和寮・光風寮・明石寮等の宿舎に収容される。 日本鋳造のあゆみ
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