※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和11年(1936) | - | 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 当社は日本製鉄株式会社指定問屋となる | ||
- | 後半、世界的軍拡機運澎湃し、鉄価日に昂騰す | ||
昭和12年(1937) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 支那事変勃発 | ||
7月 | 国家統制諸法令頻出、鉄鋼業の様相一変す | ||
- | 全国鋼材共販組合結成され、売買価格一定す | ||
昭和13年(1938) | - | 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 当社傍系として大阪製釘株式会社を設立し田中己之吉専務取締役就任 | ||
11月 | 株式会社山本商会東京営業所開設、所長山田松之助 | ||
- | 当社の分身として株式会社広瀬清三郎商店を設立し広瀬清三郎業務を担当す | ||
昭和14年(1939) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 曩に当社が工場を買収設立したる奥金鉄線工業合資会社の組織を改め冨士鋼業株式会社を創立す、代表取締役田中城平、(現在取締役社長山本元三、専務取締役田中城平) | ||
- | 日本鋼材販売株式会社設立され、鉄鋼配給機構一元化す | ||
- | 原材料の配給統制、自由販売の停止、中央物価委員会の公定価格決定等統制益々強化さる | ||
昭和15年(1940) | - | 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 株式会社山本藤助商店と株式会社山本商会とを合併し、株式会社山本商会とす | ||
4月 | 従来の小倉出張所を改めて小倉営業所を設置し、清水恵一朗引続き業務を主管す | ||
8月 | プレス工業は陸軍兵器本部の管理工場に指定さる | ||
10月 | 三代藤助の教育事業尽瘁に対し、帝国教育会より教育功労者として表彰さる | ||
昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 財産法人帝塚他学園設立に努力し理事長に推さる(三代) | ||
4月 | 奈良県伏見村(あやめ池)に中学校を開設す(仮校舎) | ||
12月 | 大平洋戦争突発す | ||
12月 | 冨士鋼業株式会社は軍需省管理工場に指定さる(昭和十七年海軍艦船本部監督工場に指定) | ||
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 戦争による国防高度化のため、鉄鋼の生産、配給、需要の一元的計画行わる |