※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治32年(1899) | - | 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 米・西戦争の影響によつて、マニラ麻産地の騒乱が続いているため、原料の輸入いよいよ困難となり、国内の在荷一掃、相場六‐七割高を唱えるに至る。 | わが社の記録 | |
- | 新たに貿易港二十二を開く。 | 内外重要事項 | |
- | この年、仏、広州湾を租借、義和団匪(北清事件)南阿戦争など起こる。 | 内外重要事項 | |
明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 品川弥二郎没。年五十八。 | 内外重要事項 | |
4月26日 | 臨時総会開催、資本金を十四万円増加することに決定。総資本金五十万円となる。増資資金は深川分工場の機械設備の増強と運転資金に充当。 | わが社の記録 | |
5月30日 | 英人技師ウィリアム・ヘンリー・ウード期限満了解任。 | わが社の記録 | |
8月 | 各国聯合軍北京を陥れる。 | 内外重要事項 | |
9月 | 伊藤博文立憲政友会を組織。 | 内外重要事項 | |
10月 | 伊藤博文内閣成る。 | 内外重要事項 | |
- | 露国、満洲を占拠。 | 内外重要事項 | |
- | この年、前年来の正貨流出ますます甚し。 | 内外重要事項 | |
明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 福沢諭吉逝く。享年六十八。 | 内外重要事項 | |
6月 | 桂太郎内閣成る。 | 内外重要事項 | |
6月 | 星亨、伊庭想太郎に刺殺される。享年五十二。 | 内外重要事項 | |
9月 | 北清事変に対する謝罪使、那桐来朝。 | 内外重要事項 | |
9月 | 李鴻章残す。年七十九。 | 内外重要事項 | |
10月24日 | 海軍大臣および各鎮守府に対し、わが社製の鋼索専用願を提出、受理される。 | わが社の記録 | |
12月 | 兆民中江篤介逝く。年五十五。 | 内外重要事項 | |
- | 米・西戦争の結果、マニラ麻の産地は、米国の手に帰したが、各国のマニラ麻買付け殺到相場暴騰、原料の入手甚だ困難となる。しかし、製品の売行きは好調、本社および兵庫分工場共繁忙を極め、収益著増。 | わが社の記録 | |
明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 日・英攻守同盟締結。 | 内外重要事項 |