東京製綱(株)『東京製綱株式会社七十年史』(1957.02)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治31年(1898) - 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 渋沢関係略年譜
1月17日 監査役深山小兵衛、支配人山田昌邦取締役に、赤松範一監査役に新任。 わが社の記録
1月 英国へ註文中の深川分工場用機械順次到着。傭聘鋼索技師ウィリアム・ヘンリー・ウード、職工長ジョセフ・ウィルソン着任。(8月まで) わが社の記録
1月 伊藤博文内閣成立。また元帥府および教育総監部を設置。 内外重要事項
4月 東京奠都三十年祭を挙行。 内外重要事項
6月 増税案を否決し、衆議院解散となり、大隈重信内閣成立。 内外重要事項
6月 憲政党の組織成る。 内外重要事項
7月13日 取締役社長渡部温病気のため、社長を辞任し、取締役として留任。新たに渋沢栄一取締役会長に、山田昌邦専務取締役に就任。 わが社の記録
7月 民法施行される。 内外重要事項
8月7日 前社長渡部温死去。享年六十二。 わが社の記録
10月5日 取締役渡部温死去のため、後任として監査役浅野総一郎取締役に就任、監査役に渡部朔新任。 わが社の記録
10月20日 深川分工場設備成り稼働。東洋におけるワイヤロープ製造の嚆矢となる。 わが社の記録
11月 大隈内閣倒れ、山県有朋内閣成る。 内外重要事項
- この年、米・西戦争のため、原料マニラ麻の輸入杜絶、ために麻綱工場一時運転を休止。 わが社の記録
- この年、独は膠州湾を、露は旅順口を、英は威海衛をそれぞれ租借し、米国はスペインを破り、フィリピンその他を併合。また、国内の景気、反動期に入る。 内外重要事項
明治32年(1899) - 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 渋沢関係略年譜
1月 勝安房逝く。年七十七。 内外重要事項
2月 東京・大阪間電話開通。 内外重要事項
6月 新商法施行される。 内外重要事項
7月 商法施行法第十九条により、重役会において支配人の名称を廃止。 わが社の記録
7月 改正条約実施。 内外重要事項
11月 従来の六月・十二月の決算期を、五月・十一月に改める。 わが社の記録
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