※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治23年(1890) | - | 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 山県有朋内閣成立。 | 内外重要事項 | |
12月 | 東京・横浜間電話開通。 | 内外重要事項 | |
12月 | 皇居を宮城と改称。 | 内外重要事項 | |
- | この年、わが社製品初めてシンガポール、上海、ボンベイ、カルカッタ等に輸出される。//また、この年左記諸店と特約販売店契約を結ぶ。//小松喜重、藤山要吉(小樽)岡田伝五郎(福山) | わが社の記録 | |
- | この年、好景気去り、近代的恐慌状態に入る。 | 内外重要事項 | |
明治24年(1891) | - | 【渋沢栄一】日本製帽会社相談役。東京交換所創立・委員長。東京商業会議所会頭。〔51歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 三条実美死去。年五十五。国葬。 | 内外重要事項 | |
5月 | 松方正義内閣成る。 | 内外重要事項 | |
10月 | 濃尾地方に大地震死者一万。 | 内外重要事項 | |
12月 | 海軍費問題で、衆議院政府と衝突し、議会解散される。 | 内外重要事項 | |
- | 農商務省農務局より、わが社製捕鯨用綱の成績優良なる旨の成績証明書を下附される。また、海軍各鎮守府においては、わが社製品優良の故をもつて、爾後随意契約により買上げることとなる。 | わが社の記録 | |
- | この年、東京・青森間鉄道開通。 | 内外重要事項 | |
明治25年(1892) | - | 【渋沢栄一】株式会社東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 政府予戒令を発し、民党を圧迫す。 | 内外重要事項 | |
2月 | 民、吏両党の政争激烈、土佐国民党の壮士自由派の汽船を砲撃。 | 内外重要事項 | |
2月 | 総選挙の結果民党勝つ。 | 内外重要事項 | |
4月 | 条約改正調査委員を選定。 | 内外重要事項 | |
5月 | 衆議院、選挙干渉の決議案可決、議会十五日間の停会となる。 | 内外重要事項 | |
8月17日 | 日本郵船において、わが社製マニラ麻綱と香港製品との耐力試験を行つた結果、わが社製品の優秀性を実証、爾後同社用のロープは、すべてわが社製品と決定する。 | わが社の記録 | |
8月25日 | 北海道物産共進会で、わが社の出品賞牌を授与される。 | わが社の記録 | |
8月 | 伊藤博文内閣成立。 | 内外重要事項 | |
- | この年、左の特約販売店を追加する。//牧口徳太郎(越後・荒浜)//米国シカゴ大博覧会へ、わが社製品を出品。 | わが社の記録 |