※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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1854年 | 3月3日 | 日米和親(神奈川)条約締結 | 業界・一般■は林業関連事項 |
11月 | 地震のため涌水発生、三角水没、翌年4月の地震も水没に拍車をかける | 別子◆は山林関連事項 | |
安政元年(1854) | 11月4日 | 安政の大地震 | 業界・一般■は林業関連事項 |
安政2年(1855) | - | (この年)◆今治藩領寒川山村大森山で製炭を行う、文久2年まで | 別子◆は山林関連事項 |
安政4年(1857) | 5月26日 | 米国と下田条約締結、翌年6月日米修好通商条約調印(19日) | 業界・一般■は林業関連事項 |
- | (この年)◆土佐桑ノ川山で製炭等を行う、文久3年まで | 別子◆は山林関連事項 | |
安政6年(1859) | 6月 | 横浜開港 | 業界・一般■は林業関連事項 |
11月9日 | ◆弟地炭宿火災(~12日まで) | 別子◆は山林関連事項 | |
安政7年(1860) | 3月3日 | 桜田門外の変(大老井伊直弼暗殺) | 業界・一般■は林業関連事項 |
1860年 | - | (この年)◆土佐上瀬戸山・一之谷山で製炭等を行う、明治元年まで | 別子◆は山林関連事項 |
1861年 | - | 【渋沢栄一】春、江戸に出て、海保漁村塾・千葉栄次郎道場に学ぶ。〔21歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月8日 | ◆弟地炭宿火災(~13日まで) | 別子◆は山林関連事項 | |
元治元年(1864) | - | 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月24日 | 第一次長州戦争 | 業界・一般■は林業関連事項 | |
1864年 | - | 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | (この年)◆土佐小麦畝山で製炭等を行う、明治5年まで | 別子◆は山林関連事項 | |
慶応2年(1866) | - | 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 幕府、長崎御用銅の廃止にともない買請米廃止を通達、幕府にその継続を出願 | 別子◆は山林関連事項 | |
- | (この年)◆土佐坂瀬山で製炭等を行う、明治8年まで | 別子◆は山林関連事項 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月14日 | 大政奉還 | 業界・一般■は林業関連事項 | |
- | (この年)前年御用銅廃止につき長崎店閉店 | 住友関連事項●は林業所関連事項 | |
慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月3日 | 鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争の始まり) | 業界・一般■は林業関連事項 | |
1月10日 | 大阪本店銅蔵、薩摩藩兵によって封印、吹所操業不能に陥る | 住友関連事項●は林業所関連事項 | |
1月29日 | 土佐藩銅山役人、別子銅山を接収のため登山 | 別子◆は山林関連事項 |