※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 陸軍大臣より功績表彰を受ける | ||
11月 | 第6工場(計量器工場〉竣工 | ||
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月8日 | 当社エアブレーキ部門の満州進出に関する運輸通信大臣命令 | ||
5月3日 | 「満州制動機」の設立(満州新京特別市)と同社へのエアブレーキ製造・販売権一部譲渡を決定 | ||
6月5日 | 神戸空襲により当社工場・事務所に甚大な被害 | ||
8月15日 | 軍需会社指定解除 | ||
10月 | 軍需工場設備の民需転換願書をGHQに提出 | ||
11月26日 | GHQ京都軍政部経済部から民需転換許可を受ける(エアブレーキ、オイルブレーキ、治具・ゲージ類に専念) | ||
12月 | 終戦に伴う戦災保険・軍需補償・対外補償が未決定のため、第42回決算延期 | ||
12月 | 日本制動機労働組合結成 | ||
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
1月20日 | GHQから賠償工場に指定される | ||
2月1日 | 日本制動機従業員組合、結成大会を開催(組合員398名、課長クラスと従業員で構成) | ||
2月6日 | 賠償工場除外願をGHQ第6軍司令部に提出 | ||
4月26日 | 兵庫県から重要民需工場に指定される | ||
5月28日 | 職員組合が結成大会を開催(労働者組織は、労働組合と職員組合に分裂) | ||
6月29日 | 社名を「日本エヤーブレーキ株式会社」に戻す | ||
7月31日 | 会社と両労働組合が労働協約(紳士協定)を締結 | ||
7月 | 神戸市灘区の独身寮「日青寮」内に診療所を開設 | ||
8月26日 | 会社経理応急措置法による特別経理会社に指定 | ||
10月25日 | GHQから賠償工場解除される |