※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 善兵衛43歳 | 安藤家関係事項 | |
- | この年、ワグネルが政府から、アメリカのフィラデルフィア万国博覧会事務を嘱託される。〔出典:博覧会出版協会発行『ワグネル伝』(植田豊橘編)〕 | 社会一般事項 | |
- | ワグネルがアーレンス商会から招聘される。 | 社会一般事項 | |
- | 名古屋七宝会社がフィラデルフィア万国博覧会に出品する。 | 社会一般事項 | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 塚本甚右衛門が名古屋七宝会社に再び招聘され、工長となる。〔出典:愛知県実業教育振興会発行『愛知県の特殊産業の由来』上巻〕(一説では明治13年。〔出典:七宝町発行『七宝町史』〕) | 社会一般事項 | |
5月29日 | 安藤すず没する。享年三四歳。〔妙照〕〔出典:名古屋市養念寺所蔵過去帳〕 | 安藤家関係事項 | |
8月21日 | 第一回内国勧業博覧会が上野で開催。(~11・30)入場者総数四五万四〇〇〇人余。この博覧会で、名古屋七宝会社出品の籠目七宝花瓶が龍紋賞牌を、工人塚本甚右衛門が鳳紋賞牌を受ける。〔出典:愛知県実業教育振興会発行『愛知県の特殊産業の由来』上巻〕 | 社会一般事項 | |
8月26日 | 安藤重兵衛(善兵衛)の遺言状を佐々佐平が代筆して作成する。〔出典:安藤家所蔵文書〕 | 安藤家関係事項 | |
9月8日 | 安藤重兵衛(善兵衛)没する。享年四四歳。〔慈孝〕〔出典:名古屋市養念寺所蔵過去帳〕・〔出典:安藤家安置位牌〕 | 安藤家関係事項 | |
9月8日 | 前田庄七が安藤家の婿養子となる。 | 安藤家関係事項 | |
10月1日 | 安藤重三郎が重兵衛を相続襲名する。 | 安藤家関係事項 | |
- | 善兵衛44歳 重三郎2歳 | 安藤家関係事項 | |
- | この年、アーレンス商会が工場を涛川惣助に譲渡する。 | 社会一般事項 | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月1日 | パリ万国博覧会開催。(~11月)この博覧会において、金牌賞状を浅野治兵衛・山口茂七・原不二夫が、金牌・銀牌を名古屋七宝会社が、銅牌を岡谷惣助がそれぞれ受ける。 | 社会一般事項 | |
- | 重三郎3歳 | 安藤家関係事項 | |
- | この年、愛知県博覧会が名古屋で開催され、塚本甚右衛門が銀胎七宝製作を天覧に供す。〔出典:愛知県実業教育振興会発行『愛知県の特殊産業の由来』上巻〕 | 社会一般事項 | |
- | 京都府の招聘により、ワグネルが医学校で理化学、舎密局で化学工芸を教授する。(~明治14)〔出典:博覧会出版協会発行『ワグネル伝』(植田豊橘編)〕 | 社会一般事項 | |
- | この間、ワグネルは七宝釉薬の研究を重ね、清澄な色彩(色彩琺瑯七宝)を創作する。〔出典:博覧会出版協会発行『ワグネル伝』(植田豊橘編)〕 | 社会一般事項 | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 名古屋七宝会社の工場経営を、塚本甚右衛門に委任される。〔出典:愛知県実業教育振興会発行『愛知県の特殊産業の由来』上巻〕 | 社会一般事項 | |
7月 | 名古屋七宝会社が岡山県・水戸県・長崎県・堺県・大阪府・西京府・愛知県の博覧会に出品する。〔出典:安藤家所蔵文書〕 | 社会一般事項 |