※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 安藤七宝店が七宝焼の製造工場を設ける。〔出典:名古屋市発行『名古屋市史』〕 | 安藤家関係事項 | |
5月 | 工場長として梶佐太郎(梶常吉の孫)を迎える。 | ||
8月25日 | 梶常吉が賞勲局より賞状と銀盃を受ける。〔出典:安藤家所蔵文書〕 | 社会一般事項 | |
9月2日 | 梶常吉没する。享年八三歳。〔出典:名古屋市発行『名古屋市史』〕 | 社会一般事項 | |
11月28日 | 鹿鳴館の開館式が行われる。 | 社会一般事項 | |
- | 重三郎8歳 | 安藤家関係事項 | |
- | この年、ワグネルが旭焼を創作する。〔出典:博覧会出版協会発行『ワグネル伝』(植田豊橘編)〕 | 社会一般事項 | |
- | アムステルダムでの殖民地産物及一般輸出品博覧会において、梶常吉出品作品が銀牌を受ける。〔出典:安藤家所蔵文書〕 | 社会一般事項 | |
明治17年(1884) | - | 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 重三郎9歳 | 安藤家関係事項 | |
- | この年、ワグネルが東京職工学校(東京高等工業学校の前身)の陶器玻璃工科の主任教官となる。〔出典:博覧会出版協会発行『ワグネル伝』(植田豊橘編)〕 | 社会一般事項 | |
明治18年(1885) | - | 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 名古屋七宝組合が本多与三郎・川口文左衛門ら一一人の発起人により発足する。 | 社会一般事項 | |
- | 重三郎10歳 | 安藤家関係事項 | |
- | この年、鷺善親(後の安藤善親)が福島県石城郡錦村に生まれる。 | 安藤家関係事項 | |
- | この頃、安藤重三郎が本草学者伊藤圭介の説〈海外進出の急務たること〉に啓発される。〔出典:安藤家所蔵文書〕 | 安藤家関係事項 | |
- | この年、ドイツのニュールンベルク金工万国博覧会において、金牌を名古屋七宝会社、銀牌を林小伝治・本田与三郎・川出柴太郎・児玉清三郎・小塚金吾がそれぞれ受ける。 | 社会一般事項 | |
明治19年(1886) | - | 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
2月7日 | 安井者奈《はな》(後の安藤重寿妻)生まれる。〔出典:安藤家所蔵「我家の記録」〕 | 安藤家関係事項 | |
3月1日 | 帝国大学令が公布される。 | 社会一般事項 | |
- | 重三郎11歳 | 安藤家関係事項 | |
明治20年(1887) | - | 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月12日 | 海東郡遠島村に七宝組合が設立される。〔出典:七宝町発行『七宝町史』〕 | 社会一般事項 | |
9月30日 | 海東郡遠島村に七宝焼起原碑が建立される。〔出典:七宝町発行『七宝町史』〕 | 社会一般事項 |