※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月5日 | 長男東吾出生。 | ||
12月 | 横浜ハルトリー商会を通じ、英国よりトーマス・コロジオンを、独逸よりS印鶏卵紙を輸入。 | ||
- | 〔脱影夜話〕が〔フオトグラフイー〕と改題され、その販売に尽力す。 | ||
- | 杉浦六三郎氏六代六右衛門を襲名、麹町四丁目より日本橋本町二丁目十八番地に移る。 | [関係事項?] | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 次男善之助出生。 | ||
- | 京都松原通柳馬場東入に京都支店を設く。 | ||
- | 〔フオトグラフイー〕が〔写真雑誌〕と改題され、毎号浅沼の広告を掲載。 | ||
- | 牧原仙之助氏(後の杉浦仙之助氏)東京府下柏木村に生る。 | [関係事項?] | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 大阪心斎橋筋安堂寺町南入三十二番地に大阪支店を設く。 | ||
- | 式亭三馬創製「江戸の水」と「天女丸」の取次販売を行う。 | ||
- | 二見朝隈氏銀座二丁目に開業。 | [関係事項?] | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月4日 | 杉浦甚太郎(七代杉浦六右衛門氏)生る。 | [関係事項?] | |
12月29日 | 永井竜吉(後に浅沼に入籍)、岡山真庭郡に生る。 | ||
明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月2日 | 輪座信三郎(後に浅沼に入籍)、浅草並木に生る。 | ||
- | 修整用〔ラバニス〕を発売。 | ||
- | 黒田清隆長官に従って北海道を巡視し、函館、札幌の写真館を訪問し、また昆布より沃度を採取することに着目、新事業を計画す。 | ||
- | 玉村康三郎氏浅草より横浜姿見町に移る。 | [関係事項?] | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 明治天皇北海道巡幸に際し、写真材料の納入を下命さる。 | ||
8月 | 第二回内国勧業博覧会に浅沼製暗箱を出品、有功進歩賞受領。 | ||
- | 札幌より上京の写真師武林盛一氏に九段の鈴木真一氏を紹介し、他日東京における開業に援助を約す。 |