(株)浅沼商会『浅沼商会百年史』(1971.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
- 深沢要橘氏、京橋三十間堀に写真館開業。 [関係事項?]
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
9月15日 三男治日本橋本町に生る。
- 小川一真、二見朝隈両氏による第一次〔写真新報〕銀座朝陽社より発行の企画を援助す。
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
2月4日 菊地東陽氏山形市に生る。 [関係事項?]
3月20日 鎌田弥寿治氏徳島県に生る。 [関係事項?]
5月19日 江崎礼二氏墨田川で水雷爆発をスワン乾板で写す [関係事項?]
12月 吉田勝之助をアメリカに派遣、乾板製法を学ばしむ。
- 桑田正三郎氏を伴い、長崎に上野彦馬氏を訪問、〔スワン乾板〕を目撃し、横浜五十八番館へ五十打注文す。
- 吉田勝之助、江崎礼二、鈴木真一両氏と乾板試写研究会を起す。
- 深沢要橘氏、本所横網町一丁目十七番地に〔写真乾板製造所〕を開設するに当り、その事業を援助す。
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
7月21日 長女きん出生。
7月 吉田勝之助帰国、麹町平河町四丁目十三番地に〔東京乾板会社〕を設立、初めて国産乾板の製造開始。
- 小川一真氏アメリカより帰国、横浜で乾板製造に着手。 [関係事項?]
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
- 明治天皇山陽道巡幸に際し、写真材料納入を下命さる。
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
- イルフオードPOPと臭素紙の見本を輸入。
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
2月15日 次女亮出生。
3月26日 富留宮直亮千葉県館山に生る。
12月9日 北庭筑波氏死す。四十六歳。 [関係事項?]
明治21年(1888) - 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 渋沢関係略年譜
1月14日 菅保男大分県竹田に生る。
2月11日 三女てる出生。
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