※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治21年(1888) | - | 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 下岡蓮杖氏試作の書割を十円也で譲受け、布製背景の製作販売を開始。 | ||
明治22年(1889) | - | 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 市岡太治郎氏創製〔クリスタロース〕発売。 | ||
10月 | 小川一真氏発行の〔写真新報〕の販売所を引受く。 | ||
- | 本邦最初のアマチユア団体〔日本写真会〕の創立に尽力し、会計を司どる。 | ||
- | 欧米各国の写真機械の販売を開始。 | ||
- | 小川一真氏、築地二十番に鹿島清兵衛氏の出資で築地乾板製造会社を設立。 | [関係事項?] | |
明治23年(1890) | - | 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月23日 | 京橋西紺屋町地学協会で開かれた日本写真会の会場に新輸入のイーストマン・コダックを陳列。 | ||
5月9日 | 京橋木挽町商工会議所で開かれた日本写真会創立一周年会合に書割、暗箱、マグネシュムランプ等を出品。 | ||
12月11日 | 森芳太郎氏大阪府に生る。 | [関係事項?] | |
- | イーストマン・ロールフイルムとコダック・カメラを輸入。 | ||
- | イルフオード、マリオン乾板輸入。 | ||
- | 第三回内国勧業博覧会にヘーヤ型暗箱外数点を出品、有功進歩賞を受く。 | ||
- | 横浜のコッキング商会初めて懸賞写真募集、一等十五円、二等十円、三等五円。 | [関係事項?] | |
明治24年(1891) | - | 【渋沢栄一】日本製帽会社相談役。東京交換所創立・委員長。東京商業会議所会頭。〔51歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 市岡太治郎氏製〔現像薬〕発売。 | ||
- | 〔写真新報〕の発行所を浅沼商会内に置く。 | ||
明治25年(1892) | - | 【渋沢栄一】株式会社東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 目黒村における日本写真会の野外撮影会を後援す。 | ||
明治26年(1893) | - | 【渋沢栄一】喜賓会創立・幹事長。東京人造肥料株式会社取締役会長。株式会社東京石川島造船所取締役会長。王子製紙株式会社取締役会長。帝国ホテル株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 小西六右衛門氏と発起人となり、上野桜雲台でバルトン氏の慰労会を開く。 | ||
5月27日 | 四女かの出生。 | ||
6月22日 | 父善四郎死去。五十九歳。 | ||
6月 | マリオン、イルフオード、トーマス、イーストマン、ダルメア各社と特約を結ぶ。 |