※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 室町三丁目の石版部を印刷用品部と改称。 | ||
10月 | 名古屋市西区玉屋町加藤隆助商店代理店となる。 | ||
10月 | 浅沼東吾欧米視察、治独逸留学のため相携えて出発。 | ||
11月8日 | 熊本特別大演習実況撮影の命を受け、写真師鶴淵初蔵氏を伴い、十日から十四日まで演習実況を活動写真機とパノラマカメラで撮影す。 | ||
- | 輪座信三郎入社。 | ||
- | 児童用〔ニッポン・カメラ〕三種発売。 | ||
明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 日本橋駿河町十番地に写真研究所を設立、片流れ写場及び八畳敷暗室等を設置して一般に開放。 | ||
8月 | 浅沼東吾英米両国の各社と一手輸入契約を結ぶ。 | ||
10月 | 長女きん、永井竜吉と結婚入夫。 | ||
11月 | アンスコフイルム輸入。 | ||
- | 英国バーネット社と一手販売契約締結。 | ||
- | 第五回内国勧業博覧会に工費三千円也で四十三坪の独立陳列館を建設、模範写場を造る。 | ||
- | アグフア乾板一手輸入元となる。 | ||
- | 室町分店を東京分店と改称す。 | ||
明治37年(1904) | - | 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 戦時用としてイーストマンフイルムを一手輸入。 | ||
5月22日 | 上野彦馬氏死す、六十七歳。 | [関係事項?] | |
10月7日 | 浅沼藤吉仏船メール号で上海に渡航、中国各地を視察、帰途朝鮮の写真界を見学す。 | ||
11月 | エリオットの不変色白金臭素紙、シユライスネルのレントゲン乾板を輸入。 | ||
12月 | 矢の倉福井楼で組合設立につき、小西六右衛門、曾根真文、浅沼藤吉三者会談。 | ||
- | セントルイス万国博覧会に出品、名誉銀牌受領。 |