※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 渡辺常務、社風一新、事業の積極的拡大を支店長会議席上で訓示。ただし、戦争終結を予想して慎重な行動を要望 | 三井物産関係 | |
- | 貿易収支、出超に転ず。年末より大戦景気はじまる | 関連・一般事項 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 渡辺専次郎、常務取締役を退任 | 三井物産関係 | |
11月 | 穀肥部設置 | 三井物産関係 | |
- | 大戦景気により、総取扱高は前年比六五%増。なかでも外国間貿易は九三%増と飛躍的に伸びる | 三井物産関係 | |
- | 次の年にかけて汽船会社設立多数。貿易収支は大幅黒字 | 関連・一般事項 | |
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 金本位制停止 | 関連・一般事項 | |
11月 | 造船部設置 | 三井物産関係 | |
- | 福井常務、支店長会議の席上にて大戦終結に伴う物価下落・商況激変を警告して、慎重な取引を要望する | 三井物産関係 | |
- | 会社の新設、増資さかん | 関連・一般事項 | |
- | 綿織物輸出、綿糸輸出額を上回る。貿易収支未曾有の黒字 | 関連・一般事項 | |
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 福井菊三郎、常務取締役を退任 | 三井物産関係 | |
6月 | 安川雄之助、武村貞一郎、南条金雄、常務取締役に就任 | 三井物産関係 | |
7月 | 金物部設置 | 三井物産関係 | |
8月 | 政府、シベリア出兵を宣言 | 関連・一般事項 | |
8月 | 全国に米騒動おこる | 関連・一般事項 | |
10月 | 大正海上火災保険設立 | 関連・一般事項 | |
11月 | 大戦終結を見越して手持品の売抜きを各支店に指示 | 三井物産関係 | |
11月 | 第一次世界大戦おわる | 関連・一般事項 | |
11月 | 小造船所の閉鎖相次ぐ | 関連・一般事項 |