※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | オッタワ会議にて経済ブロック協定成立 | 関連・一般事項 | |
- | 輸出増加に転ずる。外国為替相場暴落 | 関連・一般事項 | |
昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 小林正直、常務取締役を退任。井上治兵衛、常務取締役に就任 | 三井物産関係 | |
4月 | 東洋高圧工業設立(後の三井東圧化学) | 関連・一般事項 | |
9月 | 池田成彬、三井合名常務理事となり、“財閥の転向”を指導 | 関連・一般事項 | |
11月 | 査業課設置 | 三井物産関係 | |
11月 | 三井合名、財団法人三井報恩会設立 | 関連・一般事項 | |
- | 金物取引急増。生糸を抜いて取扱高で首位を占める | 三井物産関係 | |
- | 日本の綿布輸出、イギリスを抜き世界第一位 | 関連・一般事項 | |
- | ソーシャルダンピングの非難、国際的におこる | 関連・一般事項 | |
昭和9年(1934) | - | 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 三井守之助、社長を、安川雄之助、常務取締役を退任(社長制廃止) | 三井物産関係 | |
1月 | 南条金雄、会長に、田島繁二、向井忠晴、常務取締役に就任(会長制新設) | 三井物産関係 | |
3月 | 秘書課、本店電信掛設置 | 三井物産関係 | |
- | ジャワ島に鉱業権をもつビチン石油の株式取得 | 三井物産関係 | |
- | 三井各社より三井家一族の社長退任 | 関連・一般事項 | |
- | 世界的な経済のブロック化進展 | 関連・一般事項 | |
昭和10年(1935) | - | 【渋沢敬三】日本女子大学評議員就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 川村貞次郎、常務取締役を退任。守岡多仲、常務取締役に就任 | 三井物産関係 | |
2月 | 南条金雄、会長を退任。井上治兵衛、会長に就任 | 三井物産関係 | |
3月 | 萱場製作所にたいし、一手販売契約を条件に六五万円融資 | 三井物産関係 | |
4月 | 高速機関工業にたいし、七五万円融資。一手販売契約を締結 | 三井物産関係 |