※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治31年(1898) | - | 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 大阪支店(高山支店長以下8名)、馬関、小倉、若松、直方、博多で出張販売(最初の出張販売) | 三越関係 | |
11月 | 三井工業部の廃止により紡績事業(新町、前橋の2紡績所)および製糸事業(富岡、大嶹(おおしま)、名古屋、三重の4製糸所)が呉服店に移管され、三井呉服店工業部となる(明治35年工業部廃止) | 三越関係 | |
12月 | 高村光雲作の西郷隆盛像、上野公園に完成 | 社会 | |
- | 日比翁助、副支配人に就任 | 三越関係 | |
- | 三井呉服店、三井11家を社員とする合名会社に改組。新会社の資本金は100万円(呉服部50万円、工業部50万円)となる | 三越関係 | |
明治32年(1899) | - | 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 三井呉服店案内「花ごろも」発行(最初の企業PR誌) | 三越関係 | |
3月 | 中国山東省で義和団蜂起。日本、翌年鎮圧軍を派遣 | 社会 | |
6月24日 | 各店支配人役名を本店営業部長、支店長、出張所長と改称(令第7号) | 三越関係 | |
6月 | 等身大の肉筆絵看板を新橋、上野、梅田駅待合室に掲げる(最初の絵看板) | 三越関係 | |
8月 | 第1回「懸賞図案募集」 | 三越関係 | |
10月 | 外売通信係を新設 | 三越関係 | |
10月 | 東京、大阪合同の出張販売を各地で実施 | 三越関係 | |
11月23日 | 三井呉服店営業規則改正 | 三越関係 | |
11月 | 福井出張所開設 | 三越関係 | |
- | 新橋に開店したビヤホールが大繁盛(1899~1903年) | 生活 | |
- | 自動車、シンガーミシン、オートバイなど輸入される(1899~1903年) | 生活 | |
- | 赤痢、ペスト流行(1899~1903年) | 生活 | |
- | (~明治36年)[流行語]「二十世紀」「美的生活」 | 世相 | |
- | (~明治36年)[流行歌]「さのさ節」「鉄道唱歌」「東雲節」「よかたん節」 | 世相 | |
- | (~明治36年)[出版]横山源之助「日本之下層社会」徳富芦花「自然と人生」国木田独歩「武蔵野」正岡子規「病牀六尺」 | 世相 |