(株)三越『株式会社三越85年の記録』(1990.02)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治28年(1895) - 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 渋沢関係略年譜
- (~明治31年)[流行歌]「磯節」「雪の進軍」「京の四季」「いばりやんす節」 世相
- (~明治31年)[出版]樋口一葉「たけくらべ」尾崎紅葉「金色夜叉」高山樗牛「日本主義を賛す」新渡戸稲造「農業本論」 世相
明治29年(1896) - 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 渋沢関係略年譜
2月15日 横河技師に外国呉服店建築構造調査を委任、百貨店化への調査を開始 三越関係
5月 「丸越」の商標を「丸に井桁三の文字」に復す 三越関係
6月 日本とロシア、朝鮮を共同保護下に置く 社会
6月 三陸地方に大津波、死者2万7122人 社会
7月28日 高橋理事、東北、北越の機業地巡回に出発 三越関係
9月1日 三井商店理事会発足 三越関係
- 本店西側に新館を建築、2階大広間を陳列場とする 三越関係
- 大阪支店の1階広間を陳列場とする 三越関係
明治30年(1897) - 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 渋沢関係略年譜
1月 支配人会議決議により、店員の買物はすべて正札の1割引きとする 三越関係
2月 大阪で初めて活動写真興行される 社会
2月 ハワイで日本人移民が上陸を拒否される 社会
3月 足尾銅山鉱毒被害民800余名上京、請願運動開始 社会
4月3日 帳場係設置 三越関係
- 京都紅店を染工場と改称 三越関係
明治31年(1898) - 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 渋沢関係略年譜
2月 解職された元売場係長など〓[○+越]越後屋商店を結成、会社を中傷 三越関係
4月 陳列場係長を中心に同盟欠勤(ストライキ) 三越関係
7月22日 新旧両派対立事件に関し、社長三井源右衛門名にて訓示(令第6号) 三越関係
10月24日 横浜出張所開設 三越関係
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