(株)間組『間組百年史. 1945-1989 写真編』(1989.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
- 関東大震災
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
- 鉄道工事に新式スチーム・ショベルの使用を考案 第1期創業・合資時代(明治22年~昭和5年)
- 資本金80万円に増資 第1期創業・合資時代(明治22年~昭和5年)
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
- 鉄道省より東北本線赤羽駅付近荒川橋梁増設工事を請負、ウェル沈下工法の新機軸(間組沈下工法)を考案 第1期創業・合資時代(明治22年~昭和5年)
- 東京電力・東京火力発電所(川崎鶴見)基礎工事を請負 第1期創業・合資時代(明治22年~昭和5年)
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
- 東洋一といわれた朝鮮水電株式会社の赴戦江第1発電所の水路工事を請負。以後、野口遵による朝鮮の水力電気開発に参加。 第1期創業・合資時代(明治22年~昭和5年)
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
- 朝鮮支店に建築部を設置、朝鮮の建築界に進出 第1期創業・合資時代(明治22年~昭和5年)
- 金融恐慌
昭和3年(1928) - 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
- 資本金100万円に増資 第1期創業・合資時代(明治22年~昭和5年)
昭和4年(1929) - 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 渋沢関係略年譜
- 東京支店に建築部を設置、東京慈恵会の特命により東京慈恵会医院新築工事を請負 第1期創業・合資時代(明治22年~昭和5年)
昭和5年(1930) - 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 渋沢関係略年譜
- 三重県より揖斐長良川橋梁(伊勢大橋)工事を請負 第1期創業・合資時代(明治22年~昭和5年)
- 金輸出解禁断行
- 世界恐慌
昭和6年(1931) - 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 渋沢関係略年譜
- 資本金を200万円の株式会社間組発足。代表取締役社長に小谷清就任 第2期株式会社時代・戦前(昭和6年~昭和20年)
- 東京地下鉄道株式会社より京橋-日本橋間地下鉄建設工事を請負、地下鉄工事に初従事 第2期株式会社時代・戦前(昭和6年~昭和20年)
- 国鉄信濃川発電所水路を請負 第2期株式会社時代・戦前(昭和6年~昭和20年)
- 愛知県より木曽川大橋(尾張大橋)工事を請負 第2期株式会社時代・戦前(昭和6年~昭和20年)
- 朝鮮黄海水利組合より、1万町歩にわたる広大な水利工事を請負 第2期株式会社時代・戦前(昭和6年~昭和20年)
- 満州事変
- 金輸出禁止
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