※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 王政復古 | その他関連事項 | |
慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月19日 | (閏4月)太政官札(金札)発行布告(5月発行) | その他関連事項 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 当月以降、全国に為替会社設立 翌年までに8社誕生 | その他関連事項 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月10日 | 新貨条例発布(1両を1円と改称) | その他関連事項 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月15日 | 国立銀行条例発布(銀行券発行に正貨準備を規定) | その他関連事項 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月30日 | 金札引換公債証書発行条例発布 | その他関連事項 | |
7月20日 | 第一国立銀行開業免許 | その他関連事項 | |
- | この年以降為替会社の廃業・解散続出 | その他関連事項 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月4日 | 貯金預り規則公布 | その他関連事項 | |
5月2日 | 郵便貯金取扱い開始 | その他関連事項 | |
- | この頃、山梨興産社、複利の方法で預金受入れる | 貯蓄銀行関係事項 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月1日 | 国立銀行条例改正//(銀行券の正貨兌換取り止め)―以後銀行数著増 | その他関連事項 | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月15日 | 西南戦争勃発(9月終結)―以後インフレーション高進 | その他関連事項 | |
- | この頃郵便切手販売所においても郵便貯金の取扱い開始 | その他関連事項 | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 第十国立銀行、「興産金預り所」を設け、貯蓄預金の取扱い開始 | 貯蓄銀行関係事項 | |
5月 | 第三十三国立銀行、貯蓄預金の取扱い開始 | 貯蓄銀行関係事項 | |
- | 郵便貯金、最低預入額を引下げ(10銭から3銭へ) | その他関連事項 | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月5日 | 河瀬秀治、貯蓄銀行設立の必要を建議 | 貯蓄銀行関係事項 | |
12月1日 | 大阪に手形交換所開設 | その他関連事項 | |
- | 政府、官営貯蓄銀行の設立を計画(実現せず) | 貯蓄銀行関係事項 |