※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月16日 | 板垣退助死去 | 一般および四国・県内事項 | |
8月1日 | 日本銀行、スタンプ手形制度実施 | 一般および四国・県内事項 | |
8月22日 | 新株第2回払い込みを終了 | 当行事項 | |
10月1日 | 清水支店開設 | 当行事項 | |
11月22日 | 日本銀行、市中銀行に投機資金貸出抑制を要請 | 一般および四国・県内事項 | |
12月1日 | 下田支店移転 | 当行事項 | |
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 高知鉄道株式会社、土佐沿岸汽船株式会社設立 | 一般および四国・県内事項 | |
2月1日 | 東京預金協定加盟銀行利率引上げ(1分引上げ、年6分5厘) | 一般および四国・県内事項 | |
2月12日 | 取締役若菜福朗死去 | 当行事項 | |
3月10日 | 高知県庁舎落成 | 一般および四国・県内事項 | |
3月15日 | 戦後恐慌ぼっ発(諸株暴落、商品市況悪化) | 一般および四国・県内事項 | |
4月7日 | 増田ビル、ブローカー銀行破たん閉店。株式再暴落により東西取引所、12日まで立会停止 | 一般および四国・県内事項 | |
4月14日 | 株式またも暴落し立会停止(5月9日まで全国株式取引所休会)各地で銀行取付け続発(6月末迄に取付けにあったもの本店銀行67行、支店銀行102行、うち休業したもの21行) | 一般および四国・県内事項 | |
4月26日 | 第3回新株払い込み完了 | 当行事項 | |
5月2日 | 第1回メーデー、東京上野公園で開催 | 一般および四国・県内事項 | |
7月25日 | 安田善兵衛、取締役に就任、取締役伊臣真退任 | 当行事項 | |
8月2日 | 銀行条例改正(銀行合併手続を簡素化) | 一般および四国・県内事項 | |
10月1日 | 第1回国勢調査実施(10年8月27日、内地人口5,596万3,053人、外地人口2,102万5,326人) | 一般および四国・県内事項 | |
12月13日 | 伊野支店新築移転 | 当行事項 | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
1月13日 | 頭取安田善三郎辞任 | 当行事項 |