※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月18日 | 遠江国堀江を堀江藩とす | 静岡県関係 | |
10月 | 駿府城内勤番屋敷に学問所開設、府中学問所を経て静岡学問所と改称、国学・漢学・洋学等を教う | 静岡県関係 | |
12月8日 | 静岡藩、沼津兵学校(陸軍士官学校の前身)を創立、藩内より修業兵を募集 | 静岡県関係 | |
12月10日 | 天竜川沿岸洪水被害窮民救恤のため府中藩主徳川家達へ金四万両下賜 | 静岡県関係 | |
12月 | 県下各地米違作、一俵三円となる | 静岡県関係 | |
- | (この年)新道に山葵漬が製造販売される | 静岡県関係 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月13日 | 府中・浜松・沼津・掛川・横須賀・赤坂・田中・相良・小島・中泉・三州横須賀の十一ヵ所に奉行所を置く | 静岡県関係 | |
2月1日 | 渋沢篤太夫(七月二十七日篤太郎と改名、後の栄一)府中(静岡)紺屋町に合本(株式)組織の商法会所設立(わが国で公募によった合本組織としては最初のもの) | 静岡県関係 | |
2月21日 | 駿府病院設立(静岡病院の前身、本県最初のもの) | 静岡県関係 | |
2月 | 沼津に商社会所設立(移住旗本の金融授産、後に岳東軒と改称、間もなく解散) | 静岡県関係 | |
6月17日 | 徳川家達、静岡藩知事 | 静岡県関係 | |
6月20日 | 府中を静岡と唱え替え通達 | 静岡県関係 | |
7月18日 | 静岡藩士勝安芳、外務大丞に任命さる(即日辞任を乞い、八月十三日聴許) | 静岡県関係 | |
8月25日 | 商法会所を常平倉と改称 | 静岡県関係 | |
9月28日 | 静岡宝台院に謹慎中の徳川慶喜、これを解かる | 静岡県関係 | |
9月 | 島田・掛川・中泉・浜松・赤坂・沼津の六ヵ所へ郡政役所設置 | 静岡県関係 | |
11月4日 | 渋沢篤太郎(後の栄一)大蔵省租税正に任ぜられ静岡を去る | 静岡県関係 | |
11月23日 | 静岡藩士勝安芳、兵部大丞に任ぜらる | 静岡県関係 | |
12月17日 | 静岡勤番組藤田登代三郎・蒲原宿元問屋長兵衛、大井川歩渡廃止建言書提出 | 静岡県関係 | |
- | (この年)各地に大洪水、不順気にて米違作、一俵四円六十銭余に暴騰 | 静岡県関係 |