(株)住友銀行『住友銀行八十年史』(1979.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
文化2年(1805) - 友端、一橋家掛屋を受託 前史
文化4年(1807) - 友端死去、吉次郎友聞(養子=岡村氏の出)九代当主となる 前史
文化5年(1808) - 泉屋吉次郎(友聞)、幕府から江戸本両替仲間に加入を申し付けられる 前史
- 友聞、田安家掛屋を受託 前史
文化8年(1811) - 友聞、本両替仲間を退く 前史
- 友聞、幕府から銅山御用達・苗字御免を申し付けられる(公式に住友姓を名のる) 前史
文化10年(1813) - 友聞の二男・甚次郎友善、分家して理兵衛家(友俊―友直)の両替業を継承 前史
文政元年(1818) - 友聞、江戸本両替仲間に再加入 前史
- 同店、金貨引替所に指定 前史
- 札差・泉屋九兵衛店廃業 前史
文政2年(1819) - 泉屋吉次郎(友聞)、三井組とともに銅座の掛屋となる 前史
文政3年(1820) - 泉屋吉次郎(友聞)、大阪でも金銀引替所の指定を受ける 前史
天保12年(1841) - *水野忠邦の天保の改革はじまる 前史[一般]
天保13年(1842) - 経営難のため、別子銅山休業を幕府に願い出(幕府の要請で稼行継続) 前史
弘化2年(1845) - 【渋沢栄一】この頃、父に三字教、蒙求、小学等を教わる。栄治郎と改名。〔5歳〕 渋沢関係略年譜
- 友聞隠居、吉次郎友視、一〇代当主となる[原本1846年 弘化2年] 前史
嘉永2年(1849) - 江戸の両替店を縮小(中橋店を閉鎖、正木町に移転) 前史
- 泉屋吉次郎(友視)、江戸本両替仲間を退役 前史
嘉永6年(1853) - 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 渋沢関係略年譜
- *ペリー、浦賀に来航 前史[一般]
安政2年(1855) - 前年につづく大地震・火事などで別子大被害 前史
- 幕府へ別子休業を願い出(幕府の援助で稼行継続) 前史
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