※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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安政3年(1856) | - | 【渋沢栄一】父の代理で領主安部摂津守の岡部の陣屋で用金の命を受ける。代官が傲慢で栄一を侮蔑、圧制に痛憤し封建の弊に強烈な反感を持つ。〔16歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | *米国総領事ハリス、下田に上陸 | 前史[一般] | |
安政4年(1857) | - | 友視死去、吉次郎友訓、一一代当主となる | 前史 |
- | 江戸両替店、南槙町へ再移転 | 前史 | |
安政5年(1858) | - | 【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | *井伊直弼、日米修好通商条約に調印 | 前史[一般] | |
万延元年(1860) | - | *威臨丸、米国に向け出航 | 前史 |
慶応元年(1865) | - | 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 友訓死去、吉左衛門友親、浅田家から復籍して一二代当主となる | 前史 | |
- | 幕府、別子への安値買受米の払い下げ一部停止を通告 | 前史 | |
慶応2年(1866) | - | 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | *徳川慶喜、一五代将軍となる | 前史[一般] | |
- | 幕府、長崎御用銅(別子72万斤)の制度を廃止 | 前史 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | *徳川慶喜、大政奉還 | 前史[一般] | |
- | 別子稼人、飯米削減に抗議。この騒ぎのため3カ月間休山 | 前史 | |
慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | *鳥羽・伏見の戦い | 前史[一般] | |
1月 | 薩摩藩、住友本家の銅蔵を差し押さえ | 前史 | |
1月 | 土佐藩の一隊、別子銅山を接収 | 前史 | |
4月 | *政府軍、江戸入城 | 前史[一般] | |
4月 | 新政府、別子銅山の稼行継続を許可 | 前史 | |
7月 | *江戸を東京と改称 | 前史[一般] | |
7月 | 事業を銅鉱・銅精錬に集中する方針を決定 | 前史 | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | *明治と改元 | 前史[一般] | |
9月 | 広瀬宰平、政府のお雇い外人技師コワニェの生野鉱山視察に随行 | 前史 |