※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治20年(1887) | - | 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月1日 | 東京手形交換所設立さる。 | 第一国立銀行時代 | |
- | この年役員積立金規則、支店役員職務規程等を制定す。 | 第一国立銀行時代 | |
明治21年(1888) | - | 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
9月1日 | 仁川出張所を支店となす。 | 第一国立銀行時代 | |
10月 | 京城出張所を開設、専ら漢城方面に於ける官民の預金及貸付を取扱ふ。 | 第一国立銀行時代 | |
12月 | 名古屋出張所を開設す。 | 第一国立銀行時代 | |
- | 明治二十一、二年に互りて各種の企業殆ど空前の盛況を呈し、資金の需要急にして金融繁忙を極む。 | 第一国立銀行時代 | |
明治22年(1889) | - | 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 定款の一部を改正して、純益金中、一万五千円を紙幣消却元資積立金となすことを規定す。 | 第一国立銀行時代 | |
1月 | 名古屋同盟銀行集会所設立さる。 | 第一国立銀行時代 | |
8月 | 釜山、仁川の両支店及び京城出張所、逓信大臣より郵便為替資金保管事務の取扱を命ぜらる。 | 第一国立銀行時代 | |
明治23年(1890) | - | 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月27日 | 旧商法公布さる。(明治二十四年一月一日施行) | 第一国立銀行時代 | |
4月 | 申合規則を改正し、本支店の支配人以下は何等の名義を以てするも、他の銀行、会社の営業に関係し、又は其の役名を帯ぶることを得ずの一条を増補す。 | 第一国立銀行時代 | |
5月16日 | 日本銀行保証準備発行限度八千五百万円に拡張さる。 | 第一国立銀行時代 | |
7月20日 | 経済界恐慌のため払込徴収不能となり、且偶々商法の一部改正せられたるを以て臨時株主総会に於て、当行株式一株百円を五十円払込済の株式二株に改め、資本金を二百二十五万円に減資す。 | 第一国立銀行時代 | |
8月25日 | 銀行条例及び貯蓄銀行条例公布さる。(明治二十四年一月一日施行) | 第一国立銀行時代 | |
9月9日 | 国立銀行の貯蓄預金取扱を禁止す。 | 第一国立銀行時代 | |
- | 明治二十三年恐慌を現出、各地銀行休業又は営業停止相続き、二十五年に入り沈衰極度に達す。この年日本銀行見返担保品制度創始す。 | 第一国立銀行時代 | |
明治24年(1891) | - | 【渋沢栄一】日本製帽会社相談役。東京交換所創立・委員長。東京商業会議所会頭。〔51歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 取締役の互選を以て、監督一人を置き検査課を専当して検査に関する一般の行務に任ぜしむ。 | 第一国立銀行時代 | |
- | この年私立久次米銀行の休業に次いで、東京米商会所事件破裂し、福島第六、名古屋第四十六、八戸第百五十の各国立銀行は休業又は営業停止す。 | 第一国立銀行時代 | |
明治25年(1892) | - | 【渋沢栄一】株式会社東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 石巻支店を廃して、之を七十七銀行に護渡し、金沢支店を廃して之を加州銀行に護渡す。 | 第一国立銀行時代 | |
4月1日 | 名古屋出張所を拡張して名古屋支店となす。 | 第一国立銀行時代 |