(株)第一銀行『第一銀行年表』(1942.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
9月1日 宮城、岩手両県の国税取扱を命ぜられ、宮城県にては石巻支店の他、古川駅に出張所を設け、岩手県にては盛岡支店の他、一ノ関村と宮古村に出張所を設く、其の後両県下の郡役所、地方裁判所、郵便局、病院、学校等多数公官衛の出納事務をも委任され、両県経済界支配の基礎成る。 第一国立銀行時代
11月11日 京都第百五十三国立銀行設立、国立銀行設立の限度に達し、以後国立銀行の設立は許可せられず。 第一国立銀行時代
12月1日 九月大阪支店は他の十五行と相謀り倫敦及紐育手形交換所の規則を斟酌して申合規則を作成、始て大阪手形交換所を設立開業す。我国に於ける手形交換所の嚆矢とす。 第一国立銀行時代
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
1月 名古屋銀行協和会設立さる。(名古屋銀行集会所の濫觴) 第一国立銀行時代
2月 韓国地金銀購入の為め分析者一名並に諸器械貸与を大蔵省に出願せるも故ありて行はれず。 第一国立銀行時代
4月 第四十八国立銀行が従事せる秋田県他五郡の為替方を継承、県下全部の為替方となる。 第一国立銀行時代
5月 秋田出張所を開設す。 第一国立銀行時代
5月 元山津出張所を開設し、同地領事館の官金出納事務並に為替事務を取扱ふ。 第一国立銀行時代
6月 当行は「紙幣下落により経済界撹乱せられしは、不換紙幣増発の結果なり。之が整理に務めずして、銀貨の騰貴を制せんとするは無益の業なり。今日の急務は紙幣消却の方法を定むると共に兌換制度を採用するにあり」と、政府への建議案を起草、択善会の評議に附す。 第一国立銀行時代
8月22日 択善会解散す。 第一国立銀行時代
8月 貯蔵預り金規則を制定施行す。(特別当座預金、貯蓄預金の起源)。 第一国立銀行時代
9月1日 東京銀行集会所設立さる。 第一国立銀行時代
9月1日 秋田出張所の業務を拡張して支店となし、国税の取扱をもなす。 第一国立銀行時代
11月 東京銀行集会所同盟銀行十七行を慫慂し、保証裏書の様式を一定、保証小切手の流通を盛にす。 第一国立銀行時代
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
2月4日 上海、香港の代理店契約を改め、為替取引約定となし顧客の便宜を図る。 第一国立銀行時代
7月 仙台支店所轄の下に福島出張所を開設す。 第一国立銀行時代
- この年韓国政府官吏を本邦に特派して文物を視察せしむるや、金融機関調査の任に当れる魚允中は自ら本行に来りて教を請ふ。頭取渋沢栄一氏銀行説要一篇を草して之を与へ銀行の性質、営業の一般を指導し、且つ参考として数部の書籍を贈る。 第一国立銀行時代
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
6月27日 日本銀行条例制定公布さる。 第一国立銀行時代
10月9日 日本銀行開業免許。(十月十日開業) 第一国立銀行時代
11月 仁川出張所・京城公使館及び仁川領事館の官金出納事務を取扱ふ。 第一国立銀行時代
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