(株)第一銀行『第一銀行年表』(1942.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
12月11日 為替手形、約束手形条例制定公布さる。 第一国立銀行時代
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
1月24日 福島出張所を支店となし、一般銀行業務をも行ふ。 第一国立銀行時代
1月 政府は日本銀行をして国庫金を取扱はしめんとし、現在其の事務を鞅掌せる各銀行為替方は、其の営業満期に至り漸次之を同行に委託することに定む。 第一国立銀行時代
2月 日本銀行と手形再割引契約を締結す。 第一国立銀行時代
3月 申合規則を改正す。 第一国立銀行時代
4月17日 国庫金出納条例制定さる。 第一国立銀行時代
4月27日 政府日本銀行に国庫金取扱方を令達す。(七月一日事務開始)。 第一国立銀行時代
5月5日 国立銀行条例改正さる。//(一)国立銀行は開業許可の日よリ二十ケ年間営業を継続することを得。而して満期の後には更に私立銀行として営業をなし得れども紙幣を発行することを得ず。//(二)発行紙幣は営業期限内に悉皆之を消却すべし。 第一国立銀行時代
5月30日 当行は国立銀行紙幣消却に関し、合同消却法を提案、東京銀行集会所同盟銀行の決議を経て之を日本銀行に建議す。政府も之を容れ、銀行紙幣合同消却法を定め各国立銀行及び日本銀行に令達す。 第一国立銀行時代
6月 外務省に対し、本行をして韓国各開港場に於ける関税取扱の任に当らしめられたきこと、並に納入の関税は総て本行発行の手形を用ひしめられたきことを請願す。政府は此請願を嘉納して韓国政府と交渉を開始し、多少の曲折を経て海関税取扱条約を締結するに至る。 第一国立銀行時代
- 明治十六、七年の頃は諸銀行の臨時休業或は破産に陥るもの続出し、爾来久しく金融緩慢の状態を呈す。 第一国立銀行時代
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
1月20日 兌換準備金充実の為め、韓国に於て砂金、上海にては「テール」銀の購入に従事せんことを大蔵省に請ひ、且其資金として三十万円の貸下金を出願、政府之を許可せしかば、爾来、釜山支店及び仁川、元山両出張所並に上海の取引店をして其の事務を取扱はしむ。 第一国立銀行時代
2月24日 当行と韓国総税務司との間に海関税取扱条約及び墨銀貸付条約締結さる。 第一国立銀行時代
3月1日 新潟支店を開設す。 第一国立銀行時代
3月1日 四日市支店を開設す。 第一国立銀行時代
4月22日 神戸支店兵庫出張所を開設す。 第一国立銀行時代
4月22日 秋田支店酒田出張所を開設す。 第一国立銀行時代
- 尚この年春、秋田支店は県下の要地、花輪、湯沢、横手、大曲の四出張所を開設す。 第一国立銀行時代
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
5月9日 明治十七年五月二十六日布告の「兌換銀行券条例」により、政府は日本銀行をして兌換銀行券を発行せしむ。 第一国立銀行時代
12月 銀行通信録刊行さる。 第一国立銀行時代
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