※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 貸付金の回収緩和のため年賦金の中間据置制度を認む。 | ||
12月31日 | 合併の結果公称資本金は創業当時の一〇倍となり、貸付残高も各種整理資金の需要増大により一、〇〇〇百万円を突破した。 | ||
- | 「米穀応急資金」を融通す。 | ||
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月28日 | 法律第一五号を以て抵当証券法公布さる。 | ||
3月28日 | 日本勧業銀行法、改正さる。//(1)不動産を抵当とする債権(抵当証券を含む)を質とする定期償還貸付を認めらる。//(2)抵当証券の売買を為すことを認めらる。//(3)定期償還貸付金額は払込資本金および積立金総高の二倍を超過し得ざることに認めらる。//(4)政府の所有または保管する当行債券を日本銀行のために管理することを認めらる。//(5)十箇年以内において年賦償還の方法により農工漁業者十人以上連帯貸付を認めらる。 | ||
12月 | 「中小商工業者等産業資金」融通決定さる。 | ||
- | 貸付金の回収の緩和・延期に関する要望各地におこる。 | ||
昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 当行を通じ預金部資金により地方銀行の不動産抵当債権を資金化す。 | ||
6月6日 | 臨時特融課設置規程および不動産金融資金貸付規程制定の件大蔵大臣の認可を受く。 | ||
7月1日 | 七月一日以後払込期日の到来する分より、既往の農村貸付金利率の引下を実行す。 | ||
9月6日 | 法律第二四号を以て不動産融資及損失補償法公布さる。 | ||
10月6日 | 不動産融資及損失補償法による資金貸付規程制の件、大蔵大臣の認可を受く。 | ||
12月 | 大蔵省預金部、六大都市以外の市町村に対する直接貸付を開始す。以後当行の公共貸付は減退す。 | ||
昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
3月28日 | 日本勧業銀行法の改正により生糸共同施設組合またはその連合会に対する無抵当貸付を認めらる。 | ||
10月1日 | 既往の貸付金利率の引下を実行す。 | ||
昭和9年(1934) | - | 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 | 渋沢関係略年譜 |
6月18日 | 宮崎農工銀行と合併契約を締結す。 | ||
7月2日 | 日本勧業証券株式会社の資本金五〇〇千円より百万円に増加さる。 | ||
7月3日 | 栃木県農工銀行と合併契約を締結す。 | ||
昭和10年(1935) | - | 【渋沢敬三】日本女子大学評議員就任。 | 渋沢関係略年譜 |
10月1日 | 日本勧業証券株式会社の資本金一百万円より三百万円に増加さる。 | ||
11月2日 | 勧業小券の繰上償還を開始す。 |