※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
天保12年(1841) | 1月10日 | 鈴木忠七(初代三郎助)神奈川県葉山にて出生 | 経営一般 |
慶応2年(1866) | - | 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月7日 | 木戸孝允と西郷隆盛、坂本竜馬の斡旋で薩長提携 | 業界・社会一般 | |
4月21日 | 鈴木忠七、高山半右衛門の妹ナカと結婚 | 経営一般 | |
- | 〈この年〉(春)鈴木忠七、穀物・酒類販売店「滝屋」を葉山に開業 | 経営一般 | |
- | 〈この年〉ドイツのリットハウゼン、グルタミン酸を発見 | 業界・社会一般 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月9日 | 王政復古の大号令 | 業界・社会一般 | |
12月27日 | 鈴木泰助(二代三郎助、初代社長)出生 | 経営一般 | |
慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 鈴木忠七、家督を姉に譲り、別家して三郎助と改名 | 経営一般 | |
7月17日 | 江戸、東京と改称 | 業界・社会一般 | |
10月23日 | 明治と改元 | 業界・社会一般 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月3日 | 太陽暦実施(12月3日を明治6年1月1日とする) | 業界・社会一般 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月11日 | 初代鈴木三郎助死去 | 経営一般 | |
- | 〈この年〉風月堂:ビスケットを製造 | 業界・社会一般 | |
明治17年(1884) | - | 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月1日 | 兌換銀行条例施行 | 業界・社会一般 | |
12月 | 鈴木泰助、二代鈴木三郎助を襲名し、亡父の遺業を継いで「滝屋」経営に従事 | 経営一般 | |
明治20年(1887) | - | 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月22日 | 鹿鳴館で白熱電灯を点火、電灯営業の開始 | 業界・社会一般 | |
4月8日 | 鈴木三郎助、辻井繁七の次女テルと結婚 | 経営一般 | |
明治21年(1888) | - | 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月25日 | 市制・町村制公布(22年4月1日施行) | 業界・社会一般 | |
12月20日 | 特許・意匠・商標の各条例公布(22年2月1日施行) | 業界・社会一般 | |
- | 〈この年〉(秋)鈴木ナカ、葉山にて沃度製造開始 | 製造・研究 |