※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月1日 | 東京株式取引所開業 | 一般事項 | |
7月2日 | 三島海雲、大阪府豊能郡萱野村に生まれる | 当社事項 | |
8月15日 | 大阪株式取引所開業 | 一般事項 | |
明治26年(1893) | - | 【渋沢栄一】喜賓会創立・幹事長。東京人造肥料株式会社取締役会長。株式会社東京石川島造船所取締役会長。王子製紙株式会社取締役会長。帝国ホテル株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
3月4日 | 取引所法公布 | 一般事項 | |
- | 三島海雲、西本願寺文学寮(京都)に入寮 | 当社事項 | |
明治32年(1899) | - | 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月9日 | 新商法公布 | 一般事項 | |
- | 三島海雲、文学寮を卒業、開導中学(山口県)の英語教師に就任 | 当社事項 | |
明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
6月5日 | 内務省令第30号清涼飲料水営業取締規則発令 | 一般事項 | |
明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月27日 | 山陽鉄道神戸―下関間全面開通 | 一般事項 | |
- | 三島海雲、仏教大学3年に編入学 | 当社事項 | |
明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 三島海雲、仏教大学を中退して北京に渡り東文学舎に寄宿 | 当社事項 | |
- | 東北地方大凶作 | 一般事項 | |
明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 三島海雲、土倉五郎と北京で雑貨貿易商日華洋行を設立 | 当社事項 | |
明治37年(1904) | - | 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月10日 | 日露戦争起こる(~明38.9) | 一般事項 | |
- | 三島海雲、土倉四郎の依頼を受け軍馬調達のため蒙古に入る | 当社事項 | |
明治41年(1908) | - | 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 三島海雲、蒙古に入り克什克騰旗において酸乳を知る | 当社事項 | |
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
12月16日 | 東京山手線で電車運転開始(新橋―品川―上野間、池袋―赤羽間) | 一般事項 | |
- | 三島海雲、克什克騰旗を再訪、蒙古の乳製品の製法を知る | 当社事項 | |
- | 三島海雲、日華洋行を部下に譲り大隈重信伯爵のすすめで緬羊の改良に着手 | 当社事項 | |
明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月29日 | 工場法公布 | 一般事項 |