※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月15日 | スエズ経由周遊連絡運輸開始 | ||
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月25日 | 川田・阿波池田間開通し 徳島・阿波池田間全通 | ||
7月28日 | 第一次世界大戦 | ||
12月18日 | 東京中央停車場完成 東京駅と命名(20日東海道本線の起点となる) | ||
12月20日 | 東京・高島町(のちの横浜)間で電車運転開始 | ||
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
8月15日 | 2代目横浜駅完成し 京浜間電車運転を桜木町(旧横浜)まで延長 | ||
9月10日 | 田端駅ハンプヤードの使用開始 | ||
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月23日 | 原町田・橋本間で広軌改築の実地試験(8月5日まで) | ||
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | 丹那トンネル看工 | ||
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | 食堂車・寝台車に「禁喫煙」電車・気動車に「喫煙遠慮」を掲出 | ||
7月25日 | 下関・小森江間に自航貨車渡船就航 | ||
12月1日 | 浜松工場でC51形蒸気機関車を完成 | ||
12月19日 | 乗車券・急行券・入場券の記載方を左横書きに改め 英文を廃止(9年2月から実施) | ||
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
5月15日 | 鉄道省および鉄道局官制公布施行 | ||
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
5月1日 | 東海道本線横浜・大船間で上向三位式の腕木式自動信号機を採用 | ||
10月10日 | 宇野・高松間航路で渡艀曳航による貨車航送開始 | ||
10月14日 | 鉄道50周年祝典挙行 | ||
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月11日 | 予定線149線に及ぶ鉄道敷設法改正法公布 | ||
8月18日 | 上越線清水トンネル工事土合口から着工(土樽□の着工は12・10・6) | ||
11月1日 | 鬼志別・稚内間開通し宗谷本線全通 |