※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
6月11日 | 関門海底トンネル完成(7月1日から貨物 11月15日から旅客列車を運転) | ||
12月21日 | 北海道鉄道ほか11私設鉄道(総延長540km)の戦時買収を決定 | ||
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
2月15日 | 旅客列車大縮減 | ||
8月27日 | 鉄道防衛総本部設置 | ||
9月21日 | 官庁・工場・人口の疎開方針決定 | ||
- | 貨物用蒸気機関車D52形落成 | ||
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | 片道100kmをこえる乗車券の購入に旅行証明 1等車・寝台車・食堂車を全廃 急行列車を縮減 | ||
5月10日 | 名古屋鉄道局にはじめて女子車掌 7月には省電区間にも登場 | ||
6月30日 | 大都市の学童疎開開始 | ||
8月8日 | 関門海底トンネル第2線開通 | ||
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
7月14日 | 青函連絡船9隻被爆沈没(~15日) | ||
8月6日 | 広島に原子爆弾投下 | ||
8月15日 | 終戦 | ||
9月1日 | 運輸省に渉外室設置 | ||
12月1日 | 国有鉄道食糧増産本部設置 門司鉄道局志免鉱業所設置 | ||
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
2月27日 | 国鉄労働組合総連合結成 | ||
4月25日 | 小松港・大畠間山口県営航路を買収 | ||
5月1日 | 仁方・堀江間の省営航路開設 | ||
7月1日 | 東京・門司間 上野・青森間の急行列車で車内の弁当・パンなどの販売復活 | ||
7月24日 | 国鉄7万5000人の解雇申入れ |