※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
12月21日 | 東京本社に於て第二十回定時株主総会を開催す | ||
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
1月21日 | 取締役社長日比谷平左衛門氏本月九日死亡に付登記変更申請即日手続終了せり | ||
2月26日 | 本月十五日工事落成の湯山発電及湯山分岐送電線路に対し使用認可を得たり | ||
3月12日 | 取締役久野昌一氏社長就任に付関係官庁へ届出をなしたり | ||
4月30日 | 取締役白杉政愛氏本月十八日死亡に付登記変更申請即日手続終了せり | ||
5月3日 | 二月二十八日工事落成の日田変電所及女子畑、日田間送電線路に対し使用認可を得たり | ||
6月2日 | 博多土地建物株式会社と当社との間に両会社合併に関する仮契約を交換す | ||
6月17日 | 筑後川筋稀有の大洪水に由り女子畑、湯山及石井発電所浸水す | ||
6月22日 | 東京本社に於て第二十一回定時株主総会開催博多土地建物株式会社合併及之に伴ふ定款改正並資本金参千五百万円也に金弐百万円也を増加し総額参千七百万円也とするの件議決承認を得更に取締役一名補欠選挙の結果村上巧児氏当選就任せり | ||
6月25日 | 新株式三十五万二千株に対し第二回払込金一株に付金拾弐円五拾銭也を徴収す | ||
6月30日 | 九年十一月二十四日株式会社日本興業銀行より借入れたる工場財団抵当付借入金参百万円也を返還す | ||
7月6日 | 村上巧児氏取締役就任に付登記変更申請即日手続終了せり | ||
9月9日 | 五月三十日工事落成の竹下変電所及女子畑、黒崎間送電線路より分岐し竹下変電所に至る送電線路に対し使用認可を得たり | ||
9月16日 | 東京本社に於て臨時株主総会開催博多土地建物株式会社合併に関し法規による調査報告の件議決承認を得たり | ||
9月21日 | 博多土地建物株式会社合併登記申請即日手続終了せり | ||
12月1日 | 電化工業起業の為め日本窒素肥料株式会社経営の大分県速見郡川崎村所在「カーバイト」製造日出工場を買収す | ||
12月21日 | 東京本社に於て第二十二回定時株主総会を開催す | ||
12月21日 | 故社長日比谷平左衛門氏在職記念として日比谷家より当社従業員幸福増進に資する為め金五万円也寄贈ありしを以て其好意を謝し之を受領す | ||
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月10日 | 日本電化工業株式会社と当社との間に両会社合併に関する仮契約書を交換す | ||
2月1日 | 東京本社に於て臨時株主総会開催日本電化工業株式会社合併及之に伴ふ定款改正並資本金参千七百万円也に金四拾万円也を増加し総額金参千七百四拾万円也とするの件尚当社水力発電所水源涵養の目的を達成するため定款中に「植林事業」の一項を追加するの件議決承認を得たり |