日本甜菜製糖(株)『日本甜菜製糖70年小史』(1989.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
4月 北海道第2期拓殖計画(20年計画)実施 業界・一般
5月 北糖はアルコールの製造免許をうける 当社
5月 「優良農具購入補助規程」公布 業界・一般
8月 てん菜糖みつを原料としてアルコールを北糖帯広工場で製造開始(10年10月製造中止) 当社
昭和3年(1928) - 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
4月 北糖女満別種子精選工場完成 当社
7月 旧明糖野幌種子精選工場完成 当社
12月 砂糖供給組合に加盟 当社
昭和4年(1929) - 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 渋沢関係略年譜
11月 「金輸出解禁に関する大蔵省令」公布 業界・一般
12月 北糖減資//不良債権切り捨てのため資本金1,000万円を250万円に減資 当社
昭和5年(1930) - 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 渋沢関係略年譜
5月 米価大暴落し農村危機が深刻化 業界・一般
昭和6年(1931) - 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 渋沢関係略年譜
9月 満州事変おこる 業界・一般
12月 「金輸出解禁に関する大蔵省令」公布 業界・一般
昭和7年(1932) - 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 渋沢関係略年譜
1月 上海事変おこる 業界・一般
3月 満州国建国を宣言 業界・一般
4月 「甜菜耕作改良必須事項制定の件」(第2次)公布 業界・一般
5月 五・一五事件(首相犬養毅暗殺される) 業界・一般
昭和8年(1933) - 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 渋沢関係略年譜
3月 「米穀法」が廃止され「米穀統制法」公布 業界・一般
6月 北糖増資//資本金500万円となる(新株式5万株を発行、1株50円、払込総額250万円) 当社
12月 北糖はてん菜糖の販売を(株)明治商店(現・(株)明商)に一括委託 当社
昭和9年(1934) - 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 渋沢関係略年譜
3月 満州国帝政となる 業界・一般
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