※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | オリエンタルホテルの京都支店工事休止。「都ホテル」の開業(社主西村仁兵衛) | ||
9月 | 井上万吉ら、「也阿弥ホテル」建築を再度請願、許可される。 | ||
11月23日 | 京都ホテルにおいて関西商業会議所連合会開会打ち合わせする。京都学士会、京都ホテルにおいて秋季大会と岩村法学士の帰朝歓迎会を兼ねて開催。 | ||
12月16日 | 内貴市長、府会議員を京都ホテルに招待し、晩餐会を催す。 | ||
12月 | 都ホテル、株式会社組織に改められる。 | ||
- | ●この年、京都ホテルの宿泊総数は2116人。 | ||
明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月6日 | ロシアの皇族アレクサンダー ウォルコンスキー親王、同妃殿下、来館。 | ||
5月26日 | 山階宮菊麿王殿下、京都ホテルにご来館。 | ||
5月 | 也阿弥楼、「株式会社也阿弥ホテル」として再出発(社長大沢善助)、京都の3大ホテル時代を迎える。 | ||
7月29日 | シャム国公使来京、本願寺差し回しの馬車にて同本山に至り両法主と面会、いとまごいの挨拶後京都ホテルにて午餐。 | ||
9月2日 | 華項宮博恭王殿下、ご来館。 | ||
11月21日 | 大浦警視総監、来館。 | ||
- | この年、京都の外国人観光客は約4000人、また、京都ホテルの宿泊総数は2198人という。 | ||
明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月18日 | 在京法学士会の第1回総会、京都ホテルにて開催。 | ||
3月5日 | 京都ホテルにおいて新旧知事送迎会を開催。 | ||
3月25日 | 第4回探西会総会、京都ホテルにて開催。 | ||
6月5日 | 京都ホテルに滞在中のアメリカ陸軍大将ウード フチード氏、疏水を遊覧する。 | ||
7月7日 | 京都市有功賞受賞8名、午餐会を市長主催にて京都ホテルで開く。 | ||
7月 | 都ホテルの経営危機、銀行の差し押さえを受ける。 | ||
8月13日 | 京都ホテルにおいて京都商業会議所の第5回博覧会委員会を開催。入洛外国人の宿泊受け入れについて議事する。 |