※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月26日 | 小松宮殿下に随って来京の長崎式部官、来館。 | ||
9月8日 | 閑院宮載仁親王殿下、松井家令・西沢家従を随えられて、ご来館。 | ||
9月13日 | 清国皇族載振殿下、来館。 | ||
11月14日 | イタリア皇室侍従男爵アデルホート氏及び同夫人、再来京、ご来館。 | ||
- | ●日出新聞に「外人と京都」連載。京都3大ホテルの比較論。 | ||
明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月2日 | シャム国皇太子殿下、ご来館。 | ||
4月 | 第5回内国勧業博(大阪)、京都の各ホテルも活況。 | ||
5月24日 | 載振殿下、随員20余名を従えてご来館。 | ||
6月 | 也阿弥ホテルの決算報告、配当1割5分も可能という高収益。 | ||
12月7日 | インド王族マハラジャー オブ ガバラダー殿下、同妃殿下一行、来館。 | ||
12月 | 京都ホテルでクリスマス晩餐会開催。 | ||
- | ●4月の京都宿泊外国人は1549人、107万円余の経済効果。 | ||
明治37年(1904) | - | 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 日露戦争勃発で、京都観光業界は苦境。 | ||
5月21日 | 京都駅弁入札、京都ホテルに落札。 | ||
6月23日 | 京都駅構内に洋食店開業。 | ||
10月12日 | ドイツ皇族カール アントン フォン ホーヘンツォルレルン殿下、宮内省出張の馬車にて来館。 | ||
- | ●也阿弥ホテルは決算報告で大幅減収報告。 | ||
明治38年(1905) | - | 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月22日 | 閑院宮殿下、ドイツ皇族アントン親王殿下入洛、来館。 | ||
10月8日 | 英国東洋艦隊司令長官ノーエル大将、夫人・令嬢らと来館。 | ||
12月10日 | 北里博士、京都医師会の招待で入洛、講演後有志による晩餐会を京都ホテルにて催す。 |