(株)神戸新聞社『神戸新聞五十五年史』(1953.07)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和22年(1947) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 渋沢関係略年譜
5月11日 新聞定価本月分より一ヶ月十二円五十銭、一部四十銭に値上。
5月12日 地方中堅記者懇談会を社内で開いた。
5月13日 二ぺージ大型紙に復した。
5月20日 本社従業員組合大会を露台で開き産別脱退、単一残留に決定。
5月24日 二十五日と二日間本社主催兵庫県青年擬国会(市役所正庁)
5月 【是月】南日本新聞社長元本社専務編集局長木下猛逝去。
6月11日 神戸行幸、本社から記念写真帳を献上した。
6月11日 経営協議会を開き新給与体系案を議した。
6月16日 阪神地方学校工場行幸、取材に活動。
6月20日 第三十二回定時株主総会開催、昭和二十二年上半期決算(互助会経営により無配)可決。
6月21日 二十二日との二日間本社主催第一回兵庫県女子中等学校ソフトボール大会を明石球場で開いた。
6月24日 兵庫県巡幸写真展を大丸で二十九日まで開いた。(終って県下各地で開いた)
7月1日 本社と姫路、西宮、竜野、西脇、三田、篠山などとの予約電話十七通話増加。本社主催境浜海水浴場復活再開。社員交通費補助実施。
7月9日 本社チーム、神戸地区代表として第二回通信放送野球大会に参加。
7月15日 本社主催新聞映画「駈出時代」の試写会(国際東宝映画劇場)
7月20日 本社従組主催海のカーニバルを境浜海水浴場で開いた。
7月30日 経営協議会を開き増資を議した。
8月1日 職制を改め各局に局長諮問機関として顧問を置き、総務局に会計部、保安課を置き、文書部を廃し庶務部に文書課を置き、人事異動を行い、吉安新次を編集局長、畑専一郎、西松五郎を各次長、水谷信雄を編集局顧問、宇野幸夫を厚生事業団主事とした。
8月2日 本社主催森戸文相講演会を神戸市役所正庁で開いた。
8月3日 本社主催学童海水浴場風景スケッチ大会を境浜で開いた。
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