※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月20日 | 東京駅(東京中央停車場)開業 | ||
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
7月26日 | 宮内省より新館建設用敷地の使用許可下りる | ||
11月 | 東京ステーションホテル開業 | ||
12月11日 | 林支配人渡米(1916年4月14日帰国) | ||
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月17日 | 林支配人、米国でライトと契約覚書を取り交わす | ||
9月15日 | 内務省より敷地使用許可下りる | ||
11月22日 | 臨時株主総会で新ホテル建設を決議(内務大臣官邸敷地跡、延建坪約6,000坪。費用130万円) | ||
12月 | フランク・ロイド・ライト来日 | ||
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月7日 | ロシア10月革命 | ||
- | フランク・ロイド・ライト、新ホテル設計をほぼ完成 | ||
- | 内務大臣官邸および附属建物の新築工事開始 | ||
- | 年間を通じて空前の営業成績を記録 | ||
- | 日本ホテル協会、事務所を帝国ホテルから鉄道院に移転 | ||
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月2日 | シベリア出兵 | ||
9月14日 | 内務大臣官邸および附属建物竣工 | ||
11月13日 | 主食堂を装飾して第一次世界大戦の終結を祝う | ||
11月25日 | 日本と仏・米・英の各協会、各国外交官を招いて戦勝祝賀会開催 | ||
- | 食堂を700人収容可能に拡張、家屋および什器を補修 | ||
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月20日 | 犬丸徹三、副支配人として着任 | ||
6月1日 | 上野精養軒、暴風により大破、ホテル業廃業へ |