※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 国産モール印字機が初めて横浜―神戸―長崎間の電信送信機に装備 | その他の動き(県内外) | |
- | この年 「東西新聞」「支那抜粋新報」「長崎毎日雑報」「文明珠編」(長崎)発刊 | 県内マスコミ関連 | |
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月4日 | 軍人勅諭を発布 | その他の動き(県内外) | |
1月 | 「西海新聞」(社長・本田実、編集長・西道仙、隔日刊)が「鎮西日報」(主宰・佐々澄治、日刊)と改題 | 県内マスコミ関連 | |
3月14日 | 立憲改進党結成 | その他の動き(県内外) | |
4月7日 | 板垣退助、岐阜で遭難 | その他の動き(県内外) | |
5月 | 家永芳彦らが肥前改進党長崎部会を結成 | その他の動き(県内外) | |
9月 | 松田正久、松田源五郎、西道仙らが「西海日報」(長崎・新町、社長・編集長・伊藤欽亮、日刊)創刊 | 県内マスコミ関連 | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 郵便条例実施 | その他の動き(県内外) | |
4月16日 | 新聞紙条例改正、新聞廃刊続出 | その他の動き(県内外) | |
明治17年(1884) | - | 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月7日 | 岩崎弥太郎が長崎造船局を借り受け長崎造船所と改称 | その他の動き(県内外) | |
7月14日 | 池原日南(本木昌造一門、55歳)没 | 県内マスコミ関連 | |
8月 | 日本海軍の測量艦「第二丁卯」が佐世保入港 | その他の動き(県内外) | |
- | この年 「西海日報」廃刊。 | 県内マスコミ関連 | |
明治18年(1885) | - | 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | コレラ大流行、患者800余人、死者600余人 | その他の動き(県内外) | |
明治19年(1886) | - | 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | コレラ再流行、長崎で417人死亡 | その他の動き(県内外) | |
8月15日 | 清国水兵、長崎で警官や民衆に乱暴(清国水兵暴動事件) | その他の動き(県内外) | |
明治20年(1887) | - | 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月4日 | 佐世保鎮守府起工式 | その他の動き(県内外) | |
12月28日 | 新聞紙条例・出版条例改正 | その他の動き(県内外) | |
明治21年(1888) | - | 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月25日 | 市町村制公布 | その他の動き(県内外) |