※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | △内村鑑三氏設立の女子独立学校は不振休校の姿なりしに角筈女学校と改称継続に決定 | ||
11月 | △神戸女学院創立二十五年式 | ||
11月 | △婚礼式の小笠原流伊勢流など形式あまり煩はしき弊を改むる為華族女学校長細川潤次郎男の創意で諾冊二尊を正面に祀る新式工夫、実行者ぽつぽつ現はる | ||
11月 | △梨本宮守正王殿下、鍋島直大侯二女伊都子姫と御結婚 | ||
11月 | △留岡幸助氏不良少年感化の目的にて家庭学校を創設 | ||
11月 | △女子の自転車に乗るもの追々増加、女子嗜輪会女子自転車倶架部等設立せらる | ||
12月 | △女子服装改良の声高きにつれて、新工夫の改良服続出其中にて医学博士弘田長、山根正次二氏の案共に好評なり | ||
12月 | △女医鷲山弥生女史女医学校を設立開校、後の東京女子医学専門学校なり | ||
12月 | △下田歌子女史設立の帝国婦人協会の支部各地に設置せらる | ||
12月 | △歌人、鶴久子刀自永眠 | ||
12月 | △髙木兼寛男、文部大臣松田正久氏を訪問し、女子服装改良の実行法として先づ公立学校女生徒の幅広帯と袂付の袖を廃し、筒袖に袴を制服たらしむべしとの意見開陳 | ||
12月 | △巌谷小波氏日本語教師として独逸に赴任 | ||
12月 | △三井呉服店(後の三越)明年より女子店員を採用することに内定 | ||
12月 | △高等教育会議に於て女子高等師範を今一校増設 案を可決 | ||
12月 | △年末神田青年会館に開かれたる十九世紀送別演説会に於て明治女学校長巌本善治氏、十九世紀と日本婦人に就て雄弁を揮ふ | ||
12月 | △本年の婦女新聞に屡々散見する東京の婦人団体左の如し//大日本婦人教育会△大日本婦人衛生会△令女教会△帝国婦人協会△共立婦人育児会△女子同情会△福田会恵愛部△四恩瓜生会△赤十字社篤志看護婦人会△基督教婦人矯風会△日本弘道会女子部△日本体育会女子部△女子手芸慈善会△聖安得烈婦人会△精神病者慈善救治会 | ||
明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | △二十世紀に入りたりとて、日常の談話にも青年男女は此語を連発す | ||
1月 | △博文館より「女学世界」大日本女学会より「をんな」フレーベル会より「婦人と子供」各月刊雑誌創刊 | ||
1月 | △商船学校練習船月島丸行方不明となり、船長とボーイ一名の死体が漂着したるのみ、百余名逐に還らず婦人界の同情集まる | ||
1月 | △英国女皇ヴイクトリヤ陛下崩御 |