※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | △最高齢の学者理学博士伊藤圭介翁九十九歳を以て永眠 | ||
2月2日 | △奥村五百子女史の主唱にて愛国婦人会成立、二日九段偕行社にて発会式 | ||
2月3日 | △福沢諭吉先生永眠、愛惜の声天下に高し享年六十八法名大阪院独立自尊居士 | ||
2月 | △女子電話交換手成績良好なるを以て増募、但昼間勤務のみ | ||
2月 | △鉄道作業局も女子雇員を採用することに決して募集、見習中は逓信省同様日給十銭、漸次六十五銭まで増額 | ||
2月 | △渡辺裁縫女学校(後の東京女子専門)は筒袖、袴を制服として職員生徒共着用に決す | ||
3月3日 | △神宮奉斎会では細川潤次郎男創案の新婚礼式を賛成し三日其実演式を行ふ、大神宮御前結婚式是より盛なり | ||
3月 | △弘田長博士女服改良会を開き浜尾、鳩山、山脇夫人等賛成の下に実行普及法を研究 | ||
3月 | △高等女学校令施行規則公布 | ||
3月 | △東亜仏教会、婦人部を設く | ||
3月 | △愛国婦人会会長に岩倉公爵夫人(久子)就任 | ||
3月 | △婦人矯風会創立八年の祝賀会 | ||
3月 | △明治三十三年度末の全国高女校数は五十一校にして教員総数六百三十九人(内有資格者二百五十四人、無資格者三百八十五人)発達状勢左の如し。//明治三十三年 学校{公立 四四 私立 七 計 五一} 生徒{公私立計 一一、六七八} 卒業生{公私立計 二、四六九}//同三十二年 学校{公立 二七 私立 七 計 三四} 生徒{公私立計 九三八} 卒業生{公私立計 一、二七三}//同三十一年 学校{公立 二五 私立 八 計 三三} 生徒{公私立計 五三五} 卒業生{公私立計 八九六}//同三十年 学校{公立 一九 私立 六 計 二五} 生徒{公私立計 三五二} 卒業生{公私立計 五八八}//同二十九年 学校{公立 一二 私立 六 計 一八} 生徒{公私立計 三〇三} 卒業生{公私立計 四一七} | ||
4月19日 | △慈善家瓜生岩子の銅像浅草公園に建設せられ十九日除幕式これ婦人銅像の最初なり | ||
4月20日 | △日本女子大学、二十日に開校式、成瀬校長の開校の辞、渋沢男爵、大隈伯爵の演説あり | ||
4月26日 | △本月二十六日文部省にて調査したる全国公私立高女校数は七十校なり(其校名婦女新聞第五一号) | ||
4月29日 | △皇孫迪宮裕仁親王殿下(今上天皇)御降誕、御養育掛主任川村純義伯拝命 | ||
4月 | △女高師附属高女は本科の上に専攻科を新設 | ||
4月 | △本月より新に設立開校の高女校全国に多数あり | ||
4月 | △毛利公爵母堂を会長とせる大日本婦人教育会総会、小石川植物園にて |