※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | △大日本婦人衛生会会長に鍋島侯爵夫人(栄子)就任、虎門女学館に開会 | ||
4月 | △神奈川県高女校、筒袖に袴を制服とす | ||
4月 | △女学生に裁判を傍聴せしむる可否が山梨県地方で問題となれるが本月九日女高師生徒二十一名東京控訴院刑事法廷を傍聴せり、但これは女学生としてでなく一般婦人として許可されたるなりと | ||
4月 | △日刊新聞の婦人記者は従来「報知」の松岡もと子(後の羽仁もと子)「大阪毎日」の岸本柳子の二氏なりしが今回「社会新報」は鈴木げん氏を「時事」は大沢豊子氏を入社せしむ | ||
4月 | △三輪田真佐子女史の厳父主殿介宇田淵翁京都にて永眠、八十八歳従三位に昇叙せらる | ||
5月10日 | △電話交換手は風儀監督上、夜間のみは男子を採用せしが、本月十日より昼夜共女子を採用 | ||
5月 | △米国の婦人記者アツカマン女史、濠洲の同マアカツト女史来朝、数ケ月滞在 | ||
5月 | △婦人のみの演説会初めて神田錦輝館に開かる、岡山孤児院後援の為なり、弁士は矢島揖子、鳩山春子、潮田千勢子、大和関子、炭谷小梅の諸氏。鳩山女史は之が初舞台なり | ||
5月 | △明治十四五年頃自由民権の演説に熱弁を揮ひし中島湘煙女史(名は俊子、衆議院第一期の議長中島信行夫人)大磯にて永眠、享年三十九(婦女新聞第五六号) | ||
6月 | 桂内閣成立、文相は菊池大麓氏 | ||
6月 | △東京市は日比谷原に一大公園を造営することに決定 | ||
6月 | △元逓信大臣星亨氏伊庭想太郎の為に刺殺さる | ||
7月 | △鳩山和夫博士米国エール大学の招聘を受けて九月に夫人同伴出発の為、夫人の為に送別会諸所に開かる | ||
7月 | △旅館の茶代廃止運動「万朝報」によつて起さる | ||
7月 | △女子の富士登山者増加 | ||
8月 | △高等教育会議員京都府高女校長河原一郎氏満期に付改選の結果、三票の差にて東京府第一高女校長伊藤貞勝氏当選 | ||
8月 | △女学生の醜聞頻々、但大部分は偽女学生と分る | ||
8月 | △一夫多妻主義のモルモン宗宣教師一行来朝 | ||
9月 | △三谷民子女史米国より帰朝 | ||
9月 | △鳩山和夫博士、春子夫人を伴うて渡米 |