(株)北海道新聞社『北海道新聞十年史』(1952.08)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
8月9日 △大日本言論報国会北海道支部発会式を挙ぐ。 内外の動き
8月9日 △大政翼賛会は翼壮、産報、商報、労報、農報、海報、青少年団、日婦など参加のもとにインド独立支援国民大会を東京にひらく。 内外の動き
8月10日 △戦時衣生活簡素化実施要綱にもとずく[もとづく]繊維製品の製造制限および配給統制を改正。 内外の動き
8月12日 △論説主査谷口国治逝く。(明治四十五年一月十七日生れ東京帝国大学文学部卒業、昭和十一年六月北海タイムス社に入り、政経部勤務のち論説委員となり、昭和十七年十一月北海道新聞発足とともに論説主査となる。享年三十二歳) わが社の歩み
8月12日 △在ソ外交団モスクワ移転を開始。 内外の動き
8月14日 △伊、ローマを非武装都市として発表。 内外の動き
8月17日 △「文化家庭欄」を「軍事・生活欄」と改む。 わが社の歩み
8月17日 △米英首脳部ケベック会談。 内外の動き
8月17日 △仏伊軍シチリヤ島を撤退。 内外の動き
8月19日 △社長徴用制実施さる。 内外の動き
8月21日 △貯蓄増強の秘訣原稿募集を社告。 わが社の歩み
8月22日 キスカ島の日本軍七月下旬撤退の旨発表。 内外の動き
8月22日 △島崎藤村死去す、七十二歳。 内外の動き
8月24日 全道女学校より募集の慰問画帳を軍当局に献納す。 わが社の歩み
8月25日 △幌延に通信所開設。 わが社の歩み
9月1日 △戦う銃後を主題とする紙芝居原稿募集を社告す。 わが社の歩み
9月2日 △スマトラに支局開設。 わが社の歩み
9月7日 △本社紙夕刊小説、北村小松作「鷲」の連載はじまる、さしえ林唯一。 わが社の歩み
9月7日 △北海道皇軍慰問連盟と共催し全道より選抜の芸能人二十名をもって二個班の北千島皇軍慰問団を編成派遣、団長として渡辺一雄、繁原光竜を特派す。 わが社の歩み
9月7日 △北千島戦線に山口武光記者、市原初男記者特派員として同行。 わが社の歩み
PAGE TOP