※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月24日 | 京都市河原町通四条上ル共楽館支店において第七十六回定時株主総会を開き、前期営業報告をなし、利益金分配案を決議。引続き取締役舟阪八郎、飯田政之助、渡辺定次郎、田中一馬、可児一雄五氏任期満了に付改選を行ひ何れも再選就任に決す。 | ||
3月31日 | 予て京都府輸出絹織物検査所用として京都府へ貸与にかゝる本社構内の一部を更に向ふ一ケ年間賃貸の契約を締結す。 | ||
6月4日 | 大野工場用敷地として其隣接せる同町九十九字下大廻りにおいて畑地一番九筆の内八筆この坪数弐千七百弐拾八坪を宮崎弥右衛門外七名より買得その登記を了る。 | ||
6月16日 | 浜口内務大臣来社各工場を視察せらる。 | ||
6月30日 | 大野工場用敷地として安達ふゆより買得せし同町九十九字下廻り一番の内一筆此坪数九拾四坪登記を了る。 | ||
7月23日 | 京都市河原町通四条上ル共楽館支店において第七十七回定時株主総会を開き、前期営業報告をなし、利益金分配案を決議す。 | ||
11月2日 | 根上工場敷地内に第二織物工場一棟建築に着手す。 | ||
11月5日 | 法律第七十号健康保険法により本社及紫野工場は京都健康保険署に、石川県根上工場及福井県大野工場は各其県の保険署に加入の手続をなす。 | ||
12月12日 | 取締役渡辺定次郎氏辞任。 | ||
12月25日 | 予て御不例にあらせられたる 聖上陛下 本日午前一時二十五分御崩御の公示に拝接し恐懼の至りに堪へず、謹て休業哀悼の意を表し奉る。 | ||
- | 期末現在取締役五人、監査役三人、社員七十六人、男工三百六十二人、女工一千二百三十七人 | ||
1926年 | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 期末現在取締役四人、監査役三人、社員七十九人、男工三百九十三人、女工一千二百五十人。 | ||
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月8日 | 京都帝国大学医学部附属医院物置小屋より出火、隣接せる本社男工寄宿舎の一部類焼したるも損害軽微。 | ||
1月24日 | 京都市岡崎公園内市公会堂東館において第七十八回定時株主総会を開き、前期営業報告をなし、利益金分配案を決議。監査役船橋繁之助、津田栄太郎、伊藤平三の三氏任期満了に付改選を行ひ、再選就任に決す、取締役一名補欠選挙は内貴清兵衛氏当選、渡辺定次郎氏取締役辞任に付慰労金品贈呈の件は原案通り取締役会一任となる。 | ||
1月26日 | 前取締役渡辺定次郎氏に慰労金を贈呈す。 | ||
3月31日 | 予て京都府輪出絹織物検査所用として京都府へ貸与にかゝる本社構内の一部を更に向ふ一ケ年間賃貸の契約を締結す。 | ||
7月23日 | 京都市岡崎公園内市公会堂東館において第七十九回定時株主総会を開き、前期営業報告をなし、利益金分配案を決議す。 | ||
11月9日 | 取締役会長舟阪八郎氏死去。 | ||
11月13日 | 故舟阪取締役の葬儀を特に社葬とし真如堂本堂において之を執行す。 | ||
12月31日 | 取締役飯田政之助氏病気に付辞任。 |