※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
11月12日 | 本社構内に建築中の織物工場一棟並に既設物置、湯呑場の位置変更のところ総て落成。 | ||
- | 期末現在取締役五人、監査役三人、社員七十七人、男工二百八十七人、女工一千百六十四人。 | ||
- | 期末現在取締役五人、監査役三人、社員七十人、男工二百八十一人、女工一千九十一人。 | ||
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
1月23日 | 京都市河原町通四条上ル共楽館支店において第六十六回定時株主総会を開き、前期営業報告をなし、利益金分配案を決議。監査役船橋繁之助、津田栄太郎、伊藤平三の三氏任期満了に付改選を行ひ再選就任に決す。 | ||
1月24日 | 社員岡野義治、宍戸二郎両氏を副支配人に、田村冷太郎、木幡啓蔵両氏を技師に任命。 | ||
1月26日 | 大阪税務監督局の決定にかゝる、大正八年下半期所得及戦時利得金に対し、行政裁判所に異議の申立をなせり。 | ||
1月29日 | 技師財津令蔵氏さきに欧米染織業親察のため出張中のところ本日帰朝す。 | ||
2月18日 | 技師財津令蔵氏を技師長に任命す。 | ||
3月2日 | 本社附属地上京区吉田下阿達町四十六番地の一、田六反壱畝五歩を宅地千八百五拾五坪に、地目変換届を所轄税務署に提出す。 | ||
3月29日 | 竹田宮大妃昌子内親王殿下、同恒徳王殿下、同礼子女王殿下台臨、各工場作業を御覧遊ばされたり。 | ||
3月31日 | 予て京都府輸出羽二重検査所用として、京都府へ貸与せる本社構内の一部を更に向ふ一ケ年間賃貸契約を締結す。 | ||
5月3日 | 当市開催内外産業博覧会において名誉大賞を受領す。 | ||
7月23日 | 京都市河原町通四条上ル共楽館支店において第六十七回定時株主総会を開き、前期営業報告をなし、利益金分配案を決議す。 | ||
10月21日 | 朝香宮鳩彦王殿下、同妃允子内親王殿下、同紀久子女王殿下、東久邇宮妃聡子内親王殿下、賀陽宮佐紀子女王殿下御同列にて台臨、各工場作業を御覧遊ばされたり。 | ||
10月28日 | さきに大阪税務監督局の決定にかゝる、大正八年下半期所得及戦時利得金額に対し、行政裁判所に不服の訴願を提出のところ、本日勝訴の判決を受けたり。 | ||
- | 期末現在取締役五人、監査役三人、社員七十二人、男工二百九十五人、女工一千二百十五人。 | ||
- | 期末現在取締役五人、監査役三人、社員七十五人、男工三百二十四人、女工千二百二十八人。 | ||
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月10日 | さきに本社所有地の内京都市上京区吉田下阿達町四十六番地の一田六反壱畝五歩を宅地に地目変換届を提出せしところ、宅地壱千八百九拾壱坪弐合と決定せられたり。 | ||
1月23日 | 京都市河原町通四条上ル共楽館支店において第六十八回定時株主総会を開き、前期営業報告をなし、利益金分配案を決議。取締役五名のところ一名を増員し之が選挙をなすの件は取締役に可児一雄氏を選挙、次に此度当選就任せる増員取締役の任期は、現取締役の改選期迄と改むの件を可決。定款改正の件を決議す。 | ||
2月9日 | 仏国陸軍元帥ジヨツフル氏外務省木島孝蔵氏同伴来社、各工場の作業状況を視察せらる。 |