日本鉱業(株)日立鉱業所『日立鉱山史』([1986.01])

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
4月8日 達磨(阿房)煙突使用認可。
4月 移転新築の病院落成。(本山)
4月 陰作沢水道敷設。
5月3日 日立電気株式会社を創立して自家用余剰電力を地元地方へ供給。(当会社は昭和二年三月水浜電車株式会社へ合併。)
6月15日 銅電解槽増設の分使用認可。
7月 再建大雄院事務所竣功。
9月 本山坑内で鉱石搬出のため電車を使用。
9月 助川駅を山手側より海岸側へ移す。
10月25日 午後十一時頃第一熔鉱炉建家より出火、午前一時鎮火。
11月1日 職制改正、従来の九課二十係を九課二十一係とする。(庶務課内に試作係を増置し、専ら鉱煙害に対する科学的研究を進める。)
11月 坑内電車の運転を開始。(第五竪坑と選鉱場間)
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
2月4日 活動写真技師二名来山、六日集会所にて当山実況映画を映写。(この映画は上野駅発車に始まり、助川駅着、鉱山電車で製錬所に至る有様、更に製錬、本山の操業の状況を撮影したもので、久原がその母堂のため、特に企画したものと云う。)
3月1日 五百尺煙突使用認可、午後二時半より使用開始、此の日快晴。
4月3日 山階、賀陽両宮殿下来山。
4月30日 茨城電気中里発電所よりの電力供給は本日限り中止。
5月 助川供給所開設。(地番、字信田一、七五四ノニ)
8月 日立鉱山在郷軍人分会結成。(大正一〇年一二月日立鉱山聯合分会組織)
9月16日 職制改正、従来の分析課を試験課と改称。
9月28日 電錬場分金室使用認可。
10月18日 午前零時二十分夜来の降雨のため、本山新長屋(本坑坑口の上にあるもの)石垣崩壊し、二棟埋没、半壊棟数を合し二十戸破壊せられ、死傷者十一名を出す。
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