日本鉱業(株)日立鉱業所『日立鉱山史』([1986.01])

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
11月1日 供給所の白米供給値段の値下げを断行し、これにより生ずる差額は各人の義務貯金として積立てることにする。後に日立の米価補給として各鉱山に衝動を与えたものの萌芽。
12月 山神社改築落成。
12月 電気修繕場で五kW変圧器を製作、この修繕場は日立製作所の濫觴である。
12月 鉱毒のため宮田川河水飲用に適さず、鑿井費の補助をする。
12月 大雄院供給所移転開設。(地番字油ヶ沢三、四八四)
明治43年(1910) - 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 渋沢関係略年譜
1月18日 石岡第二発電所使用認可。
3月1日 井上馨侯、杉孫七郎子、原田二郎氏一行来山。
5月 大作沢水道敷設。
6月22日 山神社新祠(前鉱業主時代からの祠を現在の社殿に改築したもの)の上棟式を挙行。
6月 株式会社日立銀行開業。
6月 日立鉱山気象観測所を神峯山頂に移す。
8月6日 相川丸、台湾より鉱石を積載して会瀬浜に入り投錨、八月一〇日荷卸完了抜錨。
10月5日 会瀬浜に台湾鉱石を積載して汽船入港。
11月18日 大浦農商務大臣一行来山。
11月 電気修繕場を芝内製作と改称し、芝内(字杉室三、四七七)新工場に移転。
12月 採鉱課事務所落成。
12月 鉱業特設電話架設を申請。(明治四五年一月認可、その数七六、従来私設電話であつたものを鉱業特設電話規則によることとしたもの。)
12月 藤山用水交渉を開始。
12月 芝内供給所を芝内停留所構内に開設。
12月 大雄院医院を杉本に新築、内、外、眼科の三科を置く。
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