※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月10日 | 鈴木岩蔵、金子直吉、西川文蔵、日野誠義、佐藤法潤、本庄利平、秦逸三、伊藤寿、岡田辰之助の諸氏発起人となり、東工業株式会社において帝国人造絹糸株式会社設立に関する発起人総会を開催す。 | ||
6月17日 | 創立総会を開催し、東工業株式会社から人造絹糸製造事業を継承し、帝国人造絹糸株式会社の設立決議を行う、//資本金百万円(株数二万株)//払込資本金弐拾五万円(壱株拾弐円五拾銭払込)//本社大阪府西成郡稗島村字赤須九〇一番地ノ一//工場米沢市館山字片町下裏//役員取締役社長鈴木岩蔵 専務取締役佐藤法潤 同[専務取締役]松島誠 取締役久村清太 同[取締役]秦逸三 同[取締役]本庄利平 監査役西川文蔵 同[監査役]松田茂太郎 同[監査役]辻泰城 | ||
6月29日 | 会社設立登記完了す | ||
8月10日 | 米価暴騰し、米騒動勃発す | ||
11月11日 | 独墺屈服し世界大戦休戦条約成る | ||
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 前年五月から渡欧中の久村清太氏帰朝し、確固たる技術をもたらして原価の節約並に糸質の向上に資す | ||
6月28日 | ヴエルサイユ講和条約調印 | ||
8月10日 | 予算百拾万円をもつ広島工場の設立を決議す | ||
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月13日 | 平和克服の詔書下る | ||
1月16日 | 国際聯盟成立す | ||
1月20日 | 第二回株式払込金壱株に付拾弐円五拾銭合計弐拾五万円を徴収し払込済資本金五拾万円となる | ||
1月 | 広島市千田町に元神戸製鋼所銑鉄工場跡を譲受け、広島工場の建設に着手す | ||
4月 | 財界激変し生糸、綿糸、価格暴落す | ||
5月15日 | 監査役西川文蔵氏死去す | ||
6月20日 | 定時株主総会において森衆郎氏監査役に当選就任す | ||
7月 | 人絹市価百封度一、一〇〇円から五六〇円に下落す(一方、需要激減により、八月も引続き一ヶ月一万封度の生産を三分の一に制限す | ||
9月 | 生産を年末迄三分の二に制限す | ||
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 上半期中生産を三分の二に制限す | ||
7月 | 久村清太氏再度欧米視察に赴く | ||
11月 | 広島工場竣工す |