ニチボー(株)『ニチボー75年史』(1966.02)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治22年(1889) - 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 渋沢関係略年譜
- 中国(清国)綿中心であった日本紡績界は印度綿・米国綿に触手するに至る。 業界ならびに内外情勢
明治23年(1890) - 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 渋沢関係略年譜
1月26日 (摂津紡績) 摂津紡績社長に初代高田久右衛門は田中甚兵衛事件の責めを負い辞任し初代平野平兵衛が社長となる。同時に田中市兵衛・岡崎栄次郎・中村惣兵衛を相談役に選ぶ。 ニチボー関係
3月31日 (尼崎紡績) 尼崎本社工場の整地完了。 ニチボー関係
4月 (摂津紡績) トーマス・ウォルター・ドランスフイルドによって機械据付けに入る。 ニチボー関係
5月18日 (摂津紡績) 木津川本社工場上棟式。 ニチボー関係
5月30日 (尼崎紡績 平野紡績 聯津紡績) 尼崎・摂津・平野の3紡績会社間で菊池恭三の傭聘契約書を交換。 ニチボー関係
5月 兼松商店はじめて豪州羊毛を輸入。 業界ならびに内外情勢
7月1日 第1回総選挙。 業界ならびに内外情勢
7月2日 (尼崎紡績) 尼崎本社社工場は全く外人の手をかけずに据付けを開始、先発各社の外人依存の例にならわなかった。 ニチボー関係
7月6日 (尼崎紡績) 川田斎助は商務支配人、菊池恭三は工務支配人兼技師となる。 ニチボー関係
7月18日 (摂津紡績) 田中甚兵衛事件処理のため資本金1,000,000円に減資。 ニチボー関係
7月19日 (尼崎紡績) 尼崎本社工場上棟式。 ニチボー関係
9月5日 (尼崎紡績) 尼崎本社工場の機関据付け開始 ニチボー関係
9月17日 (尼崎紡績) 営業規則・職工規則を採用実施 ニチボー関係
10月1日 (摂津紡績) 木津川本社工場操業を開始。 ニチボー関係
10月6日 (尼崎紡績) 神戸電灯と点灯契約。 ニチボー関係
11月1日 (摂津紡績) 営業開始。 ニチボー関係
11月25日 (尼崎紡績) 尼崎本社工場は先着6,528錘を試運転、全株主の縦覧に供した。 ニチボー関係
11月26日 (尼崎紡績) 本社工場を一般に公開、参観者30,000を起す。 ニチボー関係
11月30日 (摂津紡績) 夜業を開始。 ニチボー関係
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