三共(株)『三共六十年史』(1960.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
- 品川工場に沿う目黒川の対岸西品川一丁目八八番地品川硝子製作所跡を買収してベークライト製造工場開設 社内の主要記事〔株式会社時代〕
- 本年勃発したる第一次世界大戦により輸入途絶したる清酒防腐剤サリチル酸を大蔵省および醸造協会の応援のもとに、鈴木梅太郎農博指導により工業的生産(シュミッド式)に成功、前項[ベークライト製造工場]の工場構内にサリチル酸製造工場を設置して生産開始、本邦サリチル酸工業的生産の嚆矢 社内の主要記事〔株式会社時代〕
- 朝比奈泰彦薬博指導のもとに過酸化水素オキシフル製造発売 社内の主要記事〔株式会社時代〕
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
1月20日 監査役鳥居徳兵衛退任 社内の主要記事〔株式会社時代〕
4月 専務取締役塩原又策紺綬褒章をうく 社内の主要記事〔株式会社時代〕
6月2日 サリチル酸の国産工業化成功により大蔵大臣若槻礼次郎より感謝状をうく 社内の主要記事〔株式会社時代〕
6月 石津利作薬博著英文日本鉱泉誌 The Mineral Springs of Japan 刊行 社内の主要記事〔株式会社時代〕
6月 鈴木梅太郎農博指導のもとに、輸入途絶のサルワルサンの試製に成功。秦佐八郎医博の検定に合格、アルサミノールと称しサリチル酸工場構内に工場を設け製造発売、サリチル酸と共に本邦有機合成化学工業の発端 社内の主要記事〔株式会社時代〕
10月 大阪市外稗島村赤須(大阪市大正区四貫島)に大阪工場を開設、局方製剤を製造 社内の主要記事〔株式会社時代〕
10月 下山順一郎、池口慶三両薬博共著「日本薬制註解」刊行 社内の主要記事〔株式会社時代〕
10月 北里研究所血清類取扱開始 社内の主要記事〔株式会社時代〕
11月 本年六月発布の染料医薬品製造奨励法保護のもとに、サリチル酸工場隣接田圃を買収して内国製薬株式会社(資本金一〇〇万円、社長福原有信、常務取締役塩原又策、池口慶三)を設立、アミノピリン、石炭酸、麻薬類その他輸入途絶重要薬品を生産、当社は大株主(二万株のうち一万九千株)として参加 社内の主要記事〔株式会社時代〕
11月 大正天皇即位 内外事情
12月 大正天皇即位大礼奉祝式場にて東京府下重要生産品として当社のサリチル酸天覧の栄に浴す 社内の主要記事〔株式会社時代〕
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
1月20日 取締役古谷竹之助退任、福井源次郎取締役就任 社内の主要記事〔株式会社時代〕
4月6日 局方製剤業東京製薬株式会社(資本金三〇万円、社長雨宮藤吉)を合併、資本金二三〇万円となる。同社の局方製剤部門は品川工場に移し、これにより局方製剤製造開始。 社内の主要記事〔株式会社時代〕
4月 工業薬品部門は同社の東京府葛飾郡砂村八右衛門新田の小名木川工場を継承 社内の主要記事〔株式会社時代〕
4月 大豆蛋白成型業、サトウライト株式会社(資本金二〇〇万円、取締役会長大橋新太郎、専務取締役塩原又策)を姉妹会社として設立、本社ならびに工場を東京府下寺島町七丁目二〇七番地に設置 社内の主要記事〔株式会社時代〕
5月 京都烏丸通二条北入に山村善助、半井万紹、山本政七、前川清逸の出資にて合資会社三共組を結成、当社品一手取扱 社内の主要記事〔株式会社時代〕
9月 工場法施行 内外事情
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